2014-03-05

アートフェアに参加します。 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 今週末から3331アーツ千代田で開催されるアートフェア「3331 Art Fair ‒Various Collectors' Prizes‒」に参加します。
http://artfair.3331.jp

 日本で行われるアートフェアの活気がどのようなものなのか、あまり現場に顔を出さないので、よく分かっていませんが、このアートフェアが新しく提示するのは、コレクターと呼ばれる美術作品の蒐集家の人々のうち、どうやら著名らしい人物や美術にゆかりのある雑誌などが、それぞれの視点で選んだ作品に、それぞれ自身の名前を冠した賞を授与することで、購入者の視点を可視化しようということのようです。そのことによってアートを購入するという行為の間口を広げていこうということなのでしょう。そういった新しい試みは、普段あまり関わりのない人にも入り口を提供できるので、とても良いことだと思います。

 ただ、正直に言うとあまり趣味がいいとは言えないコレクターもいるので、微妙な部分もあります。参加アーティストも然りですが、かなり面白い活動をしてる方々も多くいるので、その部分で期待しています。

 コレクターの方々というのは、自分の趣味で、なんとなく買ってる人がほとんどですので、もっとアーティストのコンセプトなり、それが美術史の文脈で(日本の美術は西洋のメインストリームの美術史に未だきちんと関われていないけど)どのような位置づけを獲得しうるのかとかより深い理解をしていって欲しいと思います。そういうことに自覚的な人ってどれくらいいるんでしょうかね。なんてちょっと嫌味を言ってみちゃおう。

 以下はアートフェアには関係ないけれど、最近自分のプロフィールを改めて書く必要があったので、自分の制作活動においてのコンセプトをまとめたものです。けっこう簡潔に書けたので、是非読んでいただきたいと思います。自分の作品をより深く理解してもらうためにもこういうものをたくさん読んでもらえるような工夫を展開していかなきゃな。

 写真は1,2年前に集中して作ったコラージュの習作です。習作なので、以下のコンセプトとはあまり関係ありません、、。

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 菊地良博 1980年宮城県生まれ。2005年武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。現在宮城と東京を拠点に活動。

 ドローイングやコラージュ、ペインティング、インスタレーションと様々な作品形式*を展開する菊地の作品は、基本的には以下のコンセプトに基づいて制作されている:

1. 言語学理論を参照点とする、伝統的汎言語価値体系の帰納的解体(延いては、言語現象の一般共通構造の抽出とその脱構築)
2. 1.へのエロティズムの介在、干渉
3. 1.2.への偶然性の適用
4. 1.2.3.の行為において直接的身体性の排除と間接的身体性の再構築=拡張
5. 1.2.3.4.による社会制度の根底の問い直しとその観察

 別の言い方をすれば、これらは基本的には社会制度(言語現象の集合として定義される)と社会制度内に隠蔽される事柄(性的興奮や暴力などの非言語的な現象)が持つ価値の脱構築を意図している。かれはこれらを人間固有の問題として定義する。

 このコンセプトの設定と表現を通して制作された作品は「モダニズム**」の歴史区分上であらゆる現代美術の文脈に関連づけることができるが、彼の内面的なニヒリズムを通した新たな批評性として、それらの文脈を更なる相対化に投げ打つようなリテラルな制作過程をもって制作されている。それらのオートマティズム、乱数、自身の身体性の排除/拡張による不確定性を備えた制作行程は、個人による矮小な審美的判断に対する懐疑による。

* 様々な作品形式 ― 加えて菊地は、主にエクスペリメンタル・ミュージックの分野での音楽活動も行っている。

**モダニズム ― 菊地は日本人は未だ近代を経験しておらず、したがって日本に於いてはポストモダンは存在しないことを知っている。それは皮肉にも、他の国が持ちえない日本の歴史的特徴である。これは早くに解決されるべき日本の文化的(また政治的)病である。菊地の無政府主義的な表現は、ある意味ではこのような背景から現れているといえる。

E/----------------------------
Born in 1980 in Miyagi prefecture, Yoshihiro Kikuchi graduated from the department of Visual Communication Design, Musashino Art University in 2005, now lives and works in Miyagi and Tokyo.

Kikuchi’s works spreading out various styles* such as drawing, collage, painting and installation have been principally made on the following concepts:

(1) a posteriori disorganization of traditional pan-language system by reference of linguistic theory (by extension, extraction of universal common structure in language phenomena, and its deconstruction).
(2) ‘eroticism’ into (1) as interposition/interference.
(3) applying ‘indeterminacy’ to (1) and (2).
(4) elimination of own direct physicality, and extension of the indirect physicality on actions in (1), (2), and (3).
(5) observation and fundamental re-examination of social institution by (1), (2), (3), and (4).

Stated differently, these are intended to deconstruct values in social institutions (defined as classes of language issues) and institutional coverups (defined as classes of non-language issues which consist of eroticism and violence et cetera). He defines these subjects to deconstruct as the mankind's innate matters.

Now the works via this way of conceptual setting and expression, can be related on various contemporary art contexts in term of 'modernism**’, but they are created with literal making processes as new criticism which would throw out the contexts to further relativizing through his inner nihilism. The processes completing with bringing in indeterminacy of automatism, random digits, and the foregoing physical elimination/extension, are due to skepticism toward trivialized personal aesthetic decision. Moreover, hopefully those works will construct radically-new linguistic structure.

*various styles - In addition, he has music activities in experimental music scene as solo and international collaborated works.

**modernism - However, Kikuchi knows that Japanese have never experienced modernism, thus there is no post-modernism in this country. It's ironically Japan's exclusive historical characteristic. This is Japan’s cultural (also political) illness that should be resolved urgently. The anarchic variations of his expression has come from the reason in a way.

Selected solo exhibitions include:
Ethical Split/Aesthetic Void, AISHONANZUKA, Hong Kong (2013);
Nullized Layers Inside the Institutional Coverups I, AISHO MIURA ARTS, Tokyo (2012);
Observations of Institutional Spectrum, Tokyo (2012);
Mickey Mouse Funeral Shit, AISHO MIURA ARTS, Tokyo (2009);
Roman Collage, AISHO MIURA ARTS, Tokyo (2009)

Selected group exhibitions include:
Inaugural Gallery Show, AISHONANZUKA, Hong Kong (2013);
Group Show 3, AISHO MIURA ARTS, Tokyo (2011);
ASIA TOP GALLERY HOTEL ART FAIR, Hong Kong (2011);
ART FAIR TOKYO, Tokyo (2010);
YOUNG ART TAIPEI, Taiwan (2010) 

Yoshihiro Kikuchi is currently represented by AISHO MIURA ARTS, Tokyo.
http://www.aishomiura.com

キーワード:

現代美術 / 現代アート


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菊地良博

ゲストブロガー

菊地良博

“宮城県在住 美術家/実験音楽家 ”


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