2014-04-16

カッペ宣言/みんな震災が好き このエントリーを含むはてなブックマーク 

 宮城に戻ってもうすぐ4年。大分慣れてきたけれど、ほとんど唯一の楽しみだったレコード屋通いができなくなったのは、やっぱりちょっとものたりない。仙台にはレコード屋や古本屋がアホみたいに少なくてというか1,2店を除くと全然ない。くわえて、地元の駅から仙台までの電車の本数は1時間に1本というけっこうな田舎だから、その日の気分で街に出るなんてことはまったく無くなった。戻ってくる前は、今はネットでなんでも買えるし特に不自由はないだろうと思っていたし、たまに帰ってくる地元はのどかで悪くないと思っていたけど、実際引っ越してみると10年住んだ東京との落差が激しすぎて訳が分からなくなった。
 現状は、CDや本などの買い物に限って言えば、マニアックなものは大抵ネット通販で手にいれてはいるけれど、それ以外のものは地元の地域性にどうしても依存するかたちになっている。
 たとえば、地方にありがちなでっかいブックオフに吸い込まれて買ってしまうCDや本は、貧乏な田舎者が金に困って売っぱらったラインナップからのおさがりだから、必然的に自分の趣味嗜好もそれに準ずるしかなくなってくる。ということはつまり、アタシはもはや言い訳できないくらいにカッペなのだ。しかも時間差があるときてる。一昔前の、しょうもない洋楽か、ダサいメタルか、メジャーなヒップホップばっかり溜め込んでしまってるアタシは、昼も夜も寝ても覚めても前後左右東西南北360度正真正銘のカッペなのだ。またの名をミスター・ブックオフ。ときどきゲオ・マスター。

 話は変わってちょっと唐突だけれども、みんな震災が好きなんだなとつくづく思う。
上に書いたこととも関わってると思うのだけど、最近でこそ見かける頻度は減ったけれど、具体的な内容がきちんと語られず、ある種の標語のように飛び交っていた「震災復興」という言葉などが被災地に奇妙な団結と高揚感を与えていたという側面は確かにあったんじゃないかと僕は思っている。
 それは文化的な教養の欠如と文化の欠落と、その帰結として共有可能な物事がずっと不在であったことを示していて、はっきり言ってしまえば、みんなどうしようもなく退屈だったのだ。
 実際、それほど切実な問題を取り扱わない震災関連の催しが「市民」によってアホみたいな数が行われてる。震災がなかったらこの人たち何してたんだろうというような印象を受けてしまう。
 美術や音楽などでも、その表現内容が震災ありきになっている場合もあったりして、なんだかなと思う。惰性で活動してる個人や市民団体みたいなのは、ほとんどこの傾向がつよくてうんざりするし、正直なところとっても不快だ。

 そんな中でも数少ない希望として存在しているだろうと思ってやっているのが「ひどいイベント」。次回はフランスからのコステスを迎えての6回目になります。コステスの映画の上映会がUPLINKでも行われましたね。行きたかった。
イベント詳細はこちら:
http://www.webdice.jp/event/detail/12287/
 音楽に限れば、自分が個人でオーガナズする「BLACK PIG CHANT」という、一番最近ではAnla Courtisを迎えて4回目を開催した、エクスペリメンタルな音楽にフォーカスしたイベントもあって、こっちも是非続けていきたい。
 後々は美術の方の活動も絡めた、音楽イベントとしての形式をどんどん逸脱していく方向ももちたいし、そんな鋭利な切り口のイベントがきちんと継続されてしっかりと地元に根付けばいいなと思っていて、でもそれはべつに功利主義的な大義があるわけでもなく、自分にとって、やりたいことができる、よりよい環境を整えたいという願望からなのだけど、それは、そんな活動がきっと自分以外の人たちにとっても面白いと思える要素が必ずあるはずと思ってるからこそ。あれ、ちょっと結局功利主義っぽい、いやだな、、。その継続のためにはお客さんの数が赤字がでない程度には必要なので、なんとかして開拓していけたらいいんだけどな~。知り合いのミュージシャンなりアーティストなりを気まぐれで外から呼んできて、イベントを身内だけで消費するような閉じた活動をするのは絶対に嫌だから。あと、リスクを引き受けるのは構わないけど、早とちりな自己犠牲に永続性はないだろうし。
 開拓がうまくいった時には立派な「脱」田舎者として胸を張るんだもんね、おで。

写真は、ブックオフやゲオで買ったカッペグッズの数々。超カッペ。

キーワード:

震災 / ひどいイベント / 市民活動


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菊地良博

ゲストブロガー

菊地良博

“宮城県在住 美術家/実験音楽家 ”


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