(2012.8.1@新宿ピカデリー)ネタバレ注意。
他の人の感想を読む前に、映画を見て思ったことのメモ。
1)唇のイメージ
・沢尻エリカ演じるりりこの部屋に大きな唇のイメージ。
・りりこがメイクをしない付き人に口紅をすすめ、「麻薬みたいなものだけどね。もっと欲しくなってキリがない」的なことを言う。
・付き人の彼氏に手を出すとき、まず唇について発言する。「この唇がいつも羽田ちゃんにキスしてるんだ」的なこと。そして「キスしていい?」って付き人の目の前で。
☆性の象徴としてこの映画に耐えず挿入されたイメージだった。唇。
2)まつげ、爪
・つけまつげやまつげエクステ、ジェルネイルのイメージが雑多に並べられる。
☆資本主義の中の、商品としての美。商品としての女性性。女性自らが消費する美。
3)時計
・コチコチという音がりりこには常に聞こえている。若さとともに美しさが失われる恐怖、時間がないことへの自覚、焦燥。
4)桃井かおり演じる女社長の、「わたしが作った」発言
・りりこは「ママ」と呼ぶが、女社長は「育てた」ではなく「作った」としか発言しない。
5)若さと美しさのピークを過ぎた存在のどぎつい現れ方
・突如、挿入される浜崎あゆみの曲。普遍的と言うことができない、その時代とそのときの彼女だけがそこにあるような曲。
・友情出演とあったが、鈴木杏。検事の部下役を演じている。子役の頃のルックスがあまりに天使すぎたために、現在はどうしてもピークを過ぎた存在に見えてしまう。彼女のこの役を与えることの露骨さと、引き受ける鈴木杏の、自分を商品としてとらえたときの自覚度に、いつも見えている芸能界のイメージが虚構でしかないことを気付かされる。そうしたイメージを提供する側の、自覚と覚悟、プロ意識を思い知る。
・映画のスクリーンの大きな画面では、完璧なルックスを持つと思われていた沢尻エリカも年齢にあらがえず法令線もしっかり刻まれていることが分かってしまう。ルックス的におとぎ話のような沢尻エリカでさえも、自分が若さを失っていく過程にあることを自覚していることが透けてみえる。単なるわがまま美人女優ではなくそのイメージさえも客観的に商品として本人がとらえているのであろうことに気付かされ、ハッとする。
・鈴木杏が彼女がラスト間際につぶやくセリフはこの映画全体に通底している問いだろう。「どうして神様は、まず私達に若さと美しさを与え、そして奪うのでしょう?」
6)水原希子演じるこずえの余裕との対比
7)新井浩文演じるゲイのメイクアーティストの天使っぷり
・性を超越した存在なのか?ただひたすら無害で、ただひたすら美を与える天使のような役割。
8)現実との交錯
・「見たいものを見せてあげる」と言って、全身整形がバレたあとの記者会見でりりこがすることは、美しいものが汚されるところを見たいというのがわたしたちの欲望だと言っているのか。
・「見たいものを見せてあげる」と自分を傷つけて、「こうもしてまでみなさんを喜ばせるなんて」とひとりごちる。沢尻の現実の、女王様発言後の謝罪会見やら、離婚報道やら、麻薬報道を
彷彿とさせるセリフ。これらのスキャンダルは真実かどうかは関係なく、沢尻が欲望渦巻く現実にあえて与えたエンタテイメントだったのか。
9)蝶のイメージ
・これは映画のポスターにも登場しているし作中に頻繁に、足に入れた蝶の入れ墨が映されているので重要イメージ。原作には出てこないモチーフだが監督が、「さなぎから美しい蝶に生まれ変わる」という存在としてイメージを入れこんでいったことを本作インタビューでどこかで読んだ。
・干されるきっかけとなった番組ではりりこはその美の象徴である蝶がまとわりついてくる幻覚をみて、それらを振り落とそうとしていた。
・予告編でも言われているとおり数少ない彼女のつくりものでないパーツ、目を、手で覆って、その上を蝶が舞うイメージが本作のポスターとなっている。
10)りりこにとっての愛
・「羽田ちゃん好きな人いるの?」と聞かれて、はいと答えつつ、「りりこさんには何万人というファンがいるじゃないですか」と付き人が付け足したとき、りりこは「でもその顔も名前もわからない人たちをどう愛せるというの?」と返す。
・ファンは常に、個別の顔・名前をもたない群像として描かれている
・あれだけプライドが高くても、恋人(窪塚)からの「会いたい」という一言のメールだけですごく笑顔だし、奥さんにものすごく嫉妬するし、結婚を知ったときすぐさま電話して恥も外聞もなくなじっていた。
・りりこが欲しいのは、それだけ?
いろいろ気になった点を挙げてみたけど、見終わって少し沈んで考えてしまったのは、女性が年老いて常に自分より若い子が登場するという、現実で日々味わわざるを得ない嫉妬心のようなものについて。
動物だから、メスだから、より良いオスを獲得したいから、少しでもモテることは本能的に重要なのだろう。「薄汚い醜いもの」と頭で思っても、気持ちはどうしても、モテが減ってより若いメスにシェアを奪われていくことに対する嫉妬心から逃れられない。逃れられないが、そんな重いを抱えたまま、「薄汚い醜いもの」として押さえ込むしかない。
それを思うままにやりたいように実行してしまうのがりりこだ。彼女は、本当は整形してでもとびきりの美しさがほしい、本当は誰にも負けたくない、自分を脅かすライバルは蹴落としたいという醜い本音を具現化した、まさにそのものだった。
この下に落ちて行くしかないスパイラルから抜け出るには、美について考えるしかない。
ひとつの回答が、検事の言葉だ。「若さは美しいが、美しさは若さではない。もっと深い豊かな美しさがある」といったようなこと。ここでいう深い豊かな美しさについては、映画を見終わったあとそれぞれが考えることを楽しむ部分だろう。思い切りネタバレの感想だけど、ここだけはネタバレ?しないでおこう。
(おまけメモ)
※特筆すべきは、水原希子の完璧な美しさ。
※沢尻も水原も鈴木杏もハーフもしくはクオーターである。並外れた美しさは奇形でもある、といったようなことを検事がいうが、身近に居たら確かに顔が小さすぎて宇宙人かもしれない。メディアを通して初めて、みんなの憧れの存在になる。