昨日、アップリンクで上映されている『チャンドマニ〜モンゴル ホーミーの源流へ〜』を観た。なぜかてっきりドキュメンタリーだと思い込んでいたが、実は二人の青年がホーミーの聖地と言われるモンゴルの奥地チャンドマニ村まで旅をする物語の映画だった。旅の途中で出会う人が、それぞれ自分の音楽を語り唄うシーンがドキュメンタリーとして挟み込まれている。おじいちゃんが唄い出すのだが、歳のせいで歌の途中で歌詞を忘れてしまうなどかわいいシーンがある。
映画の最後で草原に向かい、いきなりドゥォ〜〜〜ンンとホーミーを唄い出すシーンが最高だ。そこに「ホーミーは風が身体の中を通り抜けいく音なんだ」という台詞がかぶる。しびれました! 亀井監督は、この台詞を言わせたいがためにこの映画を作ったと言っていました。
今日は『sound & recording』誌の取材をスタッフとともに受ける。次号が「ライブ」特集で、アップリンクが新しく始める「OPEN FACTORY +music」というバック率75%というプログラムについてだった。
すこしでもミュージシャンが音楽に専念してほしいという思いからバック率75%というプログラムを始める事にしたが、ハコの運営も考えねばならない。でもいい音楽が聴けるハコにはお客が集まり、ひいてはハコの経営も維持する事がきるだろうという読みだが、うまくいってほしい。
話題は、音楽ビジネスに。最近の録音技術の進歩で、誰でもpro toolでレベルの高い音を録音編集出来るようになり、配信などにより誰でもレコード会社が個人でできる時代になった。要するにミュージシャンが sound & recording & businessを一人でできるようになった。そのことはDo It Yourselfの精神からいえばいいことに違いない。
ただ、本来、音楽とビジネス(商売)とは別物だ。エジソンが録音機を発明して音楽をパッケージして大量生産できるようになってミュージック・ビジネス=音楽商売が盛んになってきた。音楽が大きなビジネスになったのはたかだが50年あまりのことで、録音機が発明される100年前からモンゴルにはホーミーという音楽があったし、だれもその音楽と商売を結びつけようと思わなかった。
音楽と録音とそしてビジネス(商売)まで、ミュージシャン個人が考えたりやったりすることができる環境が訪れた時代は果たしてミュージシャンにとっていい時代なのかと言う問題は呈しておいた。
自分としてはそこに従来の音楽ビジネスとは違う方法論を持ったレコード会社やプロデューサーが現れる必然性はあるのではと思っている。映画で言えば、自主映画の監督が製作も配給もやるような状態が今のインディーズ音楽の状況だとするなら、アップリンクは、メジャーとは違うし、監督自らが宣伝も配給も行うというのとも違う方法で今迄映画を配給してきたので、それを音楽にも当てはめる事はできると思っているのだが。
具体的にどういう事かというと、なんだか精神論になるが、メジャーのレコード会社のスタッフひとりひとりは音楽に対する思いは強いと思う。でも会社のトップはマネージメントやビジネスの方が大切だろう。自分に返ってくる言葉であるが、責任者であるトップが音楽や映画に対する情熱を失わない事ではないだろうか。ミュージシャン個人ではできない中小企業の規模で製作や配給、宣伝を行うということではないかと思っている。
取材では、カフェでライブするミュージシャンや、PAを自前で揃えライブハウス以外の場所で演奏するミュージシャンなどの「脱ライブハウス」の動きにも及び面白かった。
さらに話題はミュージシャンのシャーマン度に及んだ。個人的にはアンビエントのような音楽や、ほっこりする心地いい音楽は嫌いではないが、自分の中で音楽にはシャーマニズム的なものを求めてしまうし、そういう音楽に惹かれる。もっとはっきりいうとシャーマニズム的要素があるのが音楽だと思っている。それは、音楽が商売となる遥か以前から存在する音楽ということだし、世界と繫がっている音楽という事だ。
もう12時を超えてしまったから昨日4月8日はアップリンクレコーズから3枚のCDとDVDの発売日だった。
僕がプロデュースした鈴木祥子さんのCD『my Sweet Surrender』は、一聴すると聴きやすいロックやポップスに聞こえるかもしれないが、彼女の音楽は、実はホーミーのようなプリミティブな音楽、いわば民族音楽だということもできるのではないだろうか。彼女の音楽のルーツはアメリカのロックやポップスだが、アメリカの民族音楽がロックやポップスだという事もできる。鈴木祥子さんの音楽はとてもコマーシャルでキャッチーに聞こえるが、ポップスのエッセンスを彼女が自身で咀嚼し、それを昇華させているので、そこから大半のアメリカン・ポップスに添加されたミュージック・ビジネスというフレーバーが抜けて、「音楽」そのものを聴く事ができるのではないだろうか。多分、彼女にとって音楽は、彼女の身体を通り抜けていく風なのだと思う。『チャンドマニ』に出てくるおじいちゃんの歌と彼女の歌の違いは、その風がモンゴルの草原の風なのか、アメリカン・ポップスの風なのかという違いしかないのだと思う。
肝心なのは、自分を空っぽにして音楽という風が通る身体を持つ事だろう。そして、その身体を持ったミュージシャンはシャーマンである。ということで、故に僕は鈴木祥子さんの音楽に惹かれるのだと思う。
鈴木祥子さんのシングル『my Sweet Surrender』には5曲、そしてDVD『無言歌』の特典ディスク『名前を呼んで〜When you call my name』には6曲納められている。自分でプロデュースをしておいてなんだか、完パケができてから何度聴いても彼女の歌にはいつも心が揺らされる。
ポップスという口当たりのいいパウダーシュガーがまぶされているが、鈴木祥子さんの音楽の本質は音楽が本来持つプリミティブなシャーマニズム的なものだと思う。
ぜひ聴いてみてください。
「私にとってポップスはうきうきするような生命感の高揚」─ 日本のポップスの源流を辿り、リズムの肉体性へと回帰した鈴木祥子のニューシングル『my Sweet Surrender』
http://www.webdice.jp/dice/detail/2379/
『名前を呼んで〜When you call my name』
http://www.youtube.com/watch?v=dVdDz-PPT-c
アップリンクレコーズ鈴木祥子公式サイト
http://www.uplink.co.jp/suzukisyoko/