2/21南青山MANDALAライブより。
鈴木祥子が約5年ぶりとなるCDシングル『my Sweet Surrender』を発表した。昨年劇場公開されたセルフ撮りによるドキュメンタリー映画『無言歌~romances sans parole~』がDVD化され同時リリースされるなど、アクティブな活動を続ける彼女だが、リリース前の2月に南青山MANDALAでライブシリーズ『The Pianist & me』を2夜にわたって開催した。1日目に山本隆二、2日目にライオン・メリィという名うてのピアニストをそれぞれ迎え、20世紀の日本のポップスの名曲をふたりだけで演奏。2010年最初のライブとして行われたジャパニーズ・ポップスのルーツを探求する旅は、彼女にとって大きな刺激となったようだ。今回はニューシングル発売に合わせ、パワーと吸引力が弱まって久しい日本のポップスへの彼女なりのアプローチについて話を聞いた。
ウエスタン・インパクトは日本人である限り持っている
── 新たな試み『The Pianist & me』を終わられて、どんな満足感がありますか?
昔の歌はいいよね、ということでもなく、かといって古い歌をあえて挑戦して自分のものにしたいという大げさなことでもなく、なにも違和感がなかった。歌には歴史があったうえで今があるわけだけれど、歌そのものを歌う気持ちとか、それに惹かれる気持ちというのはタイムレスだということが解りました。
── 原曲を歌っていたシンガーになりきる、というよりも、今を生きている鈴木さんの力強いパワーを確かに感じました。この企画はずっとあたためていたものなのですか?
NHK-FMで放送された『大瀧詠一の「日本ポップス伝」』(1995年)という番組がありまして、5夜に分けて、明治から現代までのポップスの歴史を大瀧さんの解説で辿っていくという大学の講義のような番組でした。昭和の歌を歌いたいと思ったのは、最近その存在を知って、聴かせていただいたのがきっかけです。
── そこで鈴木さんが感じた発見というのは?
歴史というのは、一直線の流れのなかに過去と未来があるんじゃなくて、もっと広大なものなんだというのを発見しました。音楽の世界というのはこんなに豊かで楽しくて、今の視点から見て古い/新しいじゃなくて、そこで何を選んでもいいし、すごくいろんなものが存在するなかに自分がいる……パラレルワールドじゃないですけれど、全てが存在していて、その中に自分がいるから、そういう意味では孤独じゃない。そう考えたら、自分が今なにをすればいいんだろうとか、なにをやったら新しいと思ってもらえるんだろうとか考える必要がないと思ったんです。
── 音楽の歴史について価値観が変わったということなんでしょうか?
捉え方を根本的に覆されたというか。だから過去の歴史を勉強するというよりも、こんな歌があったから今の自分のやっている音楽にも繋がってるんだというような、うれしさと親近感を覚えました。そしてライブで肉体を通して歌うことで、またなにか発見できるものがあるんじゃないかと思ったんです。
── 鈴木さんにとっては、できたばかりの新曲も、過去の名曲も同じ地平にあるわけですね。
並列なんです。これがほんとうに面白いと思いました。
── 番組ではどんなエピソードが印象に残っていますか?
国家である「君が代」に代表されるように、最初は欧米から輸入されて、先生がいて教わったものをだんだん日本人が日本人の心で消化していった過程が面白いですよね。
── その過程こそが日本のポップスの歴史になっているということですね。
自分は十代の頃にアメリカのロックを聴いて、なんてかっこいいんだろうと衝撃を受けた、そのウエスタン・インパクトから音楽をやりたいと思ってやってきたわけです。けれど、ある時期にこれ以上なにをやったらいいのか解らないとか、音楽ってもう新しいものは生まれてこないんじゃないかというむなしさみたいなものがあったんです。でもこの番組を聴いて、そんなことはとんでもないと。まだこんなに音楽というものは豊かにそこにある。そこから自分がなにをピックアップして自分の持っているものと混ぜ合わせて新しい表現をしていくかなんだと考えたら、まだやれる題材や挑戦することもいっぱいある。なんて自分は甘かったんだ!と思って(笑)。
── 鈴木さんも洋楽への憧れが出発点だったんですね。
そのウエスタン・インパクトは今もずっと、日本人である限りあると思います。日本ってほんとに特殊な国だなと最近思うんですよね。欧米の影響というものをここまで消化して発達してきた国はないし、柔軟に欧米の影響を受け入れる共感性によって日本独自のものを作りだしてきた部分と、裏を返せばこれだけ無批判に欧米の影響を受け入れた国も他にない、という両方の面があるんですよね。
2/21南青山MANDALAライブより。左:山本隆二
── 番組でも、戦前は音楽が教育を受けた人のためのものだったのが、戦後ジャズが輸入されて、より自由になって、譜面を読めない人も音楽ができるようになり、センスを持つ人に注目が集まるようになった過程が解説されていましたね。その点についてはどのように感じましたか?
音楽が大衆化してヒット曲が生まれて、映画の主題歌になったり女優さんが歌を歌って女優歌手の第一号が出てきたり、今のJ-POPというのもまさにその延長線上にあると思うんです。でも今は、個人の感覚というのが偏重されすぎてしまうことで、音楽がつまらなくなってしまったのではないかというのを実は感じていて。
── そうすると鈴木さんは、ポップスにパーソナルな要素よりも、時代性や共有感を求めているということなんでしょうか。
作家性というものですかね。誰でも歌を作って気軽に歌えるようになって、シンガー・ソングライターは歌がすごく歌がうまくなくても、音楽教育を受けてなくても、自分の感性で自分の好きな世界を歌にできる。自由になった反面、発想が貧困になってしまって、自分の周りのことにとらわれてしまったり、あまりにも日常性に埋没してしまってしまったり、それ以上の広がりや普遍性というものを持てなくなったところがあるんじゃないかと。そういうことを思ったのは、昔の日本の歌には、ストーリーがあってドラマがあるからなんです。詩人の西條八十さんが詞を書いていたり、中山晋平さんのような日本のポップスの祖みたいな人がほんとうに良質な曲を作曲されていたように、この時代には作家性があったと思うんです。
── 個人の感性だけで作っている曲が増えたという歌詞の部分はすごく理解できます。それでは曲の部分ではどうなんでしょう?
曲についても洋楽の素養というものがあまりにも死に絶えてきたと思うんです。服部良一さんにしても、洋楽の影響を直接的に受けて、それを日本人の感性といかに混ぜ合わせるかというところで書いていらしたと思うんです。そのおおもとの洋楽の影響がなくなっている。文化の根幹として取り入れてきてしまったものを、手放したり大事に扱わなくなるのは危険だという感じがしていて。なぜそれを大事にしない方向に行きはじめたかというのが自分でも解らなくて、すごく考えてしまうところなんです。
── それが現在の日本のポップスにおける問題?
ルーツがなくなってしまうことが問題だと思うんです。これが日本じゃなかったら、他国の影響は捨てましょう、自国のもっとよさを認識しようということはあるんですけれど、そこは日本という国の成り立ちの特殊性だと思います。
── ポップス自体が戦前戦後に洋楽なり外国の作曲家のテクニックを入れて育ってきたものだから、そこがいちばん組み込まれているはずなのに、どんどん手薄になってしまうことで、ポップス自体が形だけになってしまうということですか。
この音楽を作った人が、どのような音楽に影響を受けて消化して表現されているのかということが解ったときの、謎が解けたような面白さや楽しさも消えてしまうし、その混じり合い方ってすごく重要だと思う。この2夜にやった曲でも、洋楽の影響はたくさん入っているし、ルンバとか欧米のリズムパターンを取り入れてみたり、様々な混ざり方がありますよね。
『The Pianist & me』 南青山MANDALA
2010年2月21日(日)ゲスト:山本隆二
東京音頭(1933年) 作詞:西條八十 作曲:中山晋平
東京行進曲(1929年) 作詞:西條八十 作曲中山晋平
アラビヤの唄(1928年) 訳詞:堀内敬三 作曲:フレッド・フィッシャー
蘇州夜曲(1940年) 作詞:西條八十 作曲:服部良一
港が見える丘(1947年) 作詞・作曲:東辰三
2010年2月28日(日)ゲスト:ライオン・メリィ
桑港のチャイナ街[サンフランシスコのチャイナタウン](1950年) 作詞:佐伯孝夫 作曲:佐々木俊一
ロマンチックなキューピット(1962年) 作詞・作曲:加藤和枝
情熱のルンバ(1951年) 作詞:藤浦洸 作曲:万城目正
夜のプラットホーム(1947年) 作詞:奥野椰子夫 作曲:服部良一
テネシーワルツ(1952年) 作詞・作曲:ピーウィ-・キング/レッド・スチュワート 日本語詞:和田寿三
人形の家(1969年) 作詞:なかにし礼 作曲:川口真
リズムは解放であり、音楽の根幹である
── さらに大瀧さんは、流行歌をダンスミュージックという視点で捉えて、TRFから昭和の歌謡曲にあるツイストやマンボ、チャチャチャの要素までが紹介されていましたね。今の日本のヒット曲には、そうしたリズムの感覚というのが薄くなっているといっていいんでしょうか。
そうなんです。それは私自身でも思ったんですけれど、ドラムをやっていたはずなのに、リズムというものに対して頓着しない、リズムを感じ取る能力がすごく落ちているように感じるんです。先日歌った昭和の曲は、いろんなリズムパターンを取り入れようとする貪欲さがある。私にとってポップスは、根本的なリズムの楽しさとか、体がうきうきするような生命の高揚感だってことに最近気づきました。リズムは解放だし、生きているってことが称揚されるような感覚こそ、音楽の根幹であると思うんです。
── そうした感覚の欠如は音楽だけでなく、社会全体にもいえることだと思います。
生命感を称揚させるものが今の日本になさすぎると思います。そういうメッセージを発する人もいないし、受け取りづらい。それは自分で探していかないと、向こうから勝手にやってくるということがないから。そういう意味で自殺率が上がったり、鬱病の発症率が上がったり、そういうことにも繋がってきていると思うんです。リズムがあったら、もうきうきして踊っちゃうから(笑)。ラテンの人とか明るいじゃないですか。それはリズムに救われているんですよね。リズムって人を救う、命の肯定のような作用があるので、それが含まれている音楽をもっと聴く機会や触れる機会、実感する機会がないと、リズムというものが衰退していってしまう。その途中の状況なんじゃないかな。
── 昭和の歌謡曲の作家というのは、意識的にルンバやマンボといったリズムを取り入れていて、かつ流行歌として多くのリスナーから共感を寄せられる懐の深い曲を目指していたと。
そうだと思います。リズムというものの多様性を、昭和の作曲家の方というのは実感していたんじゃないかな。自分がミュージシャンで音楽を演奏して、ジャズを演奏していて、作家という立場になったときに、その多様性をもっと大衆音楽と組み合わせて人に伝えたいという貪欲さがあったんじゃないかと思います。
── 鈴木さんは曲作りをされるときに、私小説的なものではなく、より普遍的な要素や時代性を意識することはありますか?
やっぱりストーリーがあってほしいと思うんです。ただ自分の周りの半径何メートルのことを歌って、それに親近感を感じるというよりは、もっといろんな世界に心が旅立つというか、音楽を聴いてなにかに解放されたり自由になったり、そういう作用があるものが音楽なんじゃないかなって思うから。世界観とか、あるストーリーやドラマを曲のなかに表現するということが大事なんじゃないかな。ブログ文化と繋がるのかもしれないですけれど、今はふとした日常のつぶやきみたいな、そういうものの方が主流でしょ。
── そのほうが受け入れられやすいところあると思います。
「あ、なんか解る」という親近感も大事だけど、もっと見たこともない世界に心が旅立つとか、こんなにうきうきするリズムってあったんだという感激とか感動とか、心が大きく揺れるようなことがあってもいいと思う。今回歌った昭和の歌には、まさにそうしたうっとりするような、ドラマ性や世界観があると思うんです。
── 主に女性が歌う歌をピックアップされていますよね、それは意図的にされたんですか?昭和の時代の女性というのは今よりもっと自由じゃなかったのか、あるいは昭和の人のほうが実は自由だったのか、その辺りは歌われてどのようにお感じになりましたか?
1日目のときは「ポップス伝」で紹介された曲をそのまま歌わせていただいて、2日目は「ポップス伝」のなかに出てきた女性歌手や作曲家の曲で、自分が惹かれるものを選んで、少し自分に寄せた選曲にしました。力強くて華やかな感じを受ける曲を選んでみたんです。高峰三枝子さんだったら「湖畔の宿」とかもっと代表的なヒット曲があるんですけれど、「情熱のルンバ」を選びました。この曲はダンサーだった私のばあちゃんが好きで(笑)。「ポップス伝」にもたびたび登場する万城目正さんという、美空ひばりのデビュー曲を作曲していたり、戦後の最初の大ヒット曲「リンゴの唄」を書かれたりと、昭和のポップス史に残る偉大な作曲家の方が作曲されています。それから「ロマンチックなキューピット」は映画『ジャンケン娘』(1955年)の主題歌で、美空ひばりの自作の曲なんです。ひばりさんというと偉大なシンガーというイメージが強いですが、ご自分で曲も書かれていて、しかもすごいキュートでかわいい曲。二葉あき子さんの「夜のプラットホーム」は「蘇州夜曲」や「青い山脈」を書かれた服部良一さんの曲で、ブギウギものなどでも戦後大活躍されて、笠置シヅ子さんの作曲やアレンジをされていました。この曲も「歌謡曲なのにこんなに挑戦的なかっこいいアレンジをしてよかったの、当時は」と思うくらい、すごく挑戦的なアレンジをされています。
── 当時は歌謡曲こそが最先端の音楽性にチャレンジしていたフィールドだっということなんでしょうか。
そうなんだと思います。挑戦の場があって、今のほうが「売れるパターンはこれだ」というパターンにはまってきちゃったんじゃないかなって。この時代のほうがぜんぜん自由だった。作詞家も作曲家も編曲家も自由なことをしていた。かつこの曲は反戦の歌でもあって、最初は淡谷のり子さんが歌ったんだけれど、発表できなかった。戦後になって服部良一さんが二葉あき子さんのために編曲をして歌ってヒットしたという経緯があったとか。そういうドラマが歌の中にあるのも、すごく素敵ですよね。
2/21南青山MANDALAライブより。
大塚 愛の発想の自由さが好き
── 今のJ-POPと呼ばれるジャンルの音楽と、昭和の歌とで違いは感じられますか?
今のほうが、ある売れるパターンを割り出して、そこにリズムも歌詞の内容もシンガーの声もそこに合わせる定石みたいなものを作って、音楽をやる自由な発想が失われてしまっているのかなという気がします。ヒット曲が出ないといわれていますけれど、それは音楽自体がつまらないから買わないという、それだけのことじゃないかな。自分も音楽をやってるから、自分にも返ってくる痛い言葉なんですけれど、つまらないものを買わないのは当たり前じゃんという気もして。だから一概にリスナーの趣味が多様化したとか、携帯とかにお金がかかるからCDまでお金がまわらないとか、そういうことに原因を求めたらいけないんじゃないか。作る側の意識の問題じゃないかと思ったりします。
── 鈴木さんが考える、今日本のポップスの伝統を受け継いでいるアーティストは?
大塚 愛は好きです。女の人の華やかさとか、発想の自由さ、ソングライティングの自由さということで、大塚 愛さんのラブソングは黒毛和牛の歌(「黒毛和牛上塩タン焼680円」)とか、型にはまらない感じや、それをすごくかわいく女の子が表現しているところで、すごく活きがいい。そういう意味で一時期すごい惹かれましたね。あと永ちゃん(矢沢永吉)は昔からやってることが変わっていない。76年のライブ盤『THE STAR IN HIBIYA』とか、欧米から影響されたロックンロールがベースだと思うんですけど、リズムの躍動感を体の芯で解っているアーティストだと思います。リズム・アンド・ブルースでもソウルにもホーン・セクションは欠かせないけれど、70年代の時点からホーン・セクションをフィーチャーしてましたし。
── それは直感的に、なんでしょうか。
動物的感覚なんじゃないかな。ライブでも録音でもあれだけホーン・セクションをフィーチャーしたロックのミュージシャンって今も昔も永ちゃんしかいないんじゃないですかね。宇多田ヒカルさんも「First Love」という曲がすごく好きでライブでカバーしたこともあります。日本のマイナー調の哀愁がありますよね、そういうものを持っていながら、海外で生まれて海外の教育を受けて育っていたりするから、日本人の持っているものと、アメリカナイズされたものがすごくミックスされたアーティストだと思います。
── そして2日目にはゲストのライオン・メリィさんが戸川純さんと活動していたヤプーズ「12階の一番奥」の他にも、岡村靖幸さんの「イケナイコトカイ」を取り上げていましたね。
岡村靖幸さんはソングライターとして天才だと思います。喪失とか"解り合えないこと"を前提として書いていますよね。解り合えるときがこれからくるだろうということはあんまり岡村ちゃんの世界からは感じなくて、そこが普遍性であり、切なさだと思うんです。
── そうすると、日本のポップスのルーツ、日本人にとっての流行歌の在り方も変わってきて、ポップス自体も変わってきたなかで、今回のライブというのは、鈴木さんからのこれからのJ-POPシーンへの提言であると思うのですが。
そう、まだ入口に立ったばかりで、これからこのシリーズをどんどん自分のなかで深めていきたいし、どんどん歌っていきたいと思います。
2/28南青山MANDALAライブより。左:ライオン・メリィ
社会の均質さに対抗し、肉体的なリズムにもっと忠実でいたい
── 今回のニューシングルに収録されている新曲「my Sweet Surrender」と「名前を呼んで~When you call my name」についても、その挑戦の延長線上にある曲といっていいんでしょうか?
はい、とにかく躍動しているものが作りたかったんです。「my Sweet Surrender」はバンドで一発録りをして、クリックを聞かないでバンド感を出してみました。それから「名前を呼んで~When you call my name」はひとり多重録音です。私がデビューをした当時から、音楽業界ではメトロノームのカッカッカッという音をヘッドフォンで聴きながら、それに合わせて演奏するというスタイルが主体になってきたんですけれど、それがレコーディングのみならうずライブの現場もクリック主導になってきている。コンピューターとシンクしたり照明とシンクさせたりしなければいけない関係で、ビッグなアーティストさんになればなるほど、会場が広くなればなるほど、ライブの場でもクリックを聞きながら演奏するというスタイルが主体です。
── そこまで今のアーティストはクリックに縛られているわけですね。
でも私はなるべくクリックを聞きたくない派なんです。やっぱり人間のリズムって一定じゃないし、一定だったら逆に不自然。古い旅館とかで、気泡が混ざっていたり、色のついたガラスがあると嬉しくなっちゃう(笑)。向こうが揺れて見えるような均一じゃない質感が好きなんです。一定じゃないからこそ、気持ちに合わせてテンポが速くなったり遅くなったり、そういうものが人間のリズムだと思うから。
── 鈴木さんの体内リズム的に、ジャストなリズムに対する違和感のようなものがあるんでしょうか?
今は世間は逆らしくて、レコーディングの現場でも縦が揃っていて、BPMが一定であることに価値を見いだすようになっていて、若い人の耳もそれに慣れてしまっている。だからミュージシャンも、それに合わせていかないと音楽業界で生き残っていけないよ、とか言われたりして。でも「それは違うよ」って思う人がいてもいい。均一化した社会においては、自由さこそが多様性を有むと思うから。
── それはバンドよりもひとりの録音のほうが導きやすい?
多重録音はクリックを聞いたほうが縦が合うから演奏しやすいんですけれど、「名前を呼んで~When you call my name」は自分の叩いたリズムに合わせてピアノを弾いて、ドラムとピアノに合わせて他の楽器をダビングしていくことで、躍動感が出たのが良かった。ドラム、パーカッション、ピアノ、歌、コーラスとすべてのリズムが合わさったときにこそ、ひとつのおおきなリズムが生まれて、そういうことを考えることになったのも、「日本のポップス伝」で歴史観を覆されたり、ライブで日本のポップスのルーツを自分で歌ったり──全部が繋がっている気がして。
──それではもし、鈴木さんの望むアーティストを誰でも連れてきていいのであれば、永ちゃんみたいなバンドをやってみたいですか?
どちらもあっていいんじゃないかな。自分が音楽をはじめたとき、ミュージシャンの人の自然なグルーブを持ち寄って一発で録るというやり方をしていました。それからいろんなやり方を試してみたんですけれど、それ以上の方法が思い浮かばなくて。クリックなんか外して、そこで起きていることやみんなが感じているリズムを録音するということがいちばん自然だった。音楽ってそういう自然に起こったことや身体的なこと、興奮や高揚がもっとも大事なことなんじゃないかなと、最近とくに感じています。
── 新作『my Sweet Surrender』は鈴木さんの身体的なグルーブ感がダイレクトに表現されていると言っていいんですね。
身体的というのはとてもいい言葉ですね、身体的じゃなかったらリズムじゃないですから。
── それではこれまでの活動を経て、そうした鈴木さんなりの肉体性を論理的に導き出すことも可能だと?
実は適当にやるのがいちばんなんです(笑)。一定がいい、均一がいいという世間の視点からみたらすごいずれているんですけれど、ずれてなにが悪いんだ!と。ぴったり合っているということがどれだけ重要なのか、自分のなかではよく解らないんです。
── 言ってみればそこが鈴木さんがシンガー・ソングライターという存在でありながら、より肉体的なグルーブ感を持つミュージシャンとしての独自性になっているんじゃないでしょうか。
そうですね、私は肉体的なリズムにもっと忠実になりたい。そういう自分の感覚に従おうと思っています。
(インタビュー・文:駒井憲嗣 写真:山川哲矢[2/21]、浅井隆[2/28])
鈴木祥子 プロフィール
1988年、エピックソニーよりシングル「夏はどこへ行った」でデビュー以来、14枚のオリジナルアルバムを発表。日本を代表するシンガーソングライターとして活動を続ける。中学の頃からピアノを習い始め、高校時代になり一風堂の藤井章司に師事しドラムを学ぶ。卒業後、原田真二やビートニクス(高橋幸宏・鈴木慶一)、小泉今日子のバッキングメンバーを経て、デビュー後は国内では数少ない女性のマルチプレイヤーとしても地位を確立する。またソングライターやサウンドプロデューサーとして小泉今日子、松田聖子、PUFFY、金子マリ、渡辺満里奈、川村カオリ、坂本真綾など、数多くのアーティストを手がけ、高い評価を得ている。2008年、デビュー20周年を記念して渋谷C.C.Lomonホールでライブを開催。2009年には出演・撮影・主題歌を手がけたドキュメンタリー映画『無言歌~romances sans parole~』が公開された。そして2010年、約5年ぶりとなるニューシングル『my Sweet Surrender』をUPLINK RECORDSより4月8日にリリース。
リリース情報
CD『my Sweet Surrender』
発売中
ULR-021
1,500円(税込)
UPLINK RECORDS
★購入はコチラ
DVD『無言歌』
発売中
ULD-532
5,040円(税込)
UPLINK
★購入はコチラ
ライブ情報
NEW SINGLE発売記念ツアー2010」
「My Sweet Surrender」
出演:鈴木祥子 with ジャック達 & かわいしのぶ
2010年4月13日(火)梅田シャングリラ
開場19:00/開演19:30
料金:前売5,000円/当日5,500円(1ドリンク別)オールスタンディング
前売チケット取扱:イープラス/チケットぴあ/ローソンチケット
問い合わせ:梅田シャングリラ
2010年5月9日(日)吉祥寺GB
開場19:00/開演19:30
料金:前売5,000円/当日5,500円(1ドリンク別)オールスタンディング
前売チケット取扱:GB店頭/チケットぴあ
問い合わせ:吉祥寺GB
イベント情報
タワーレコード新宿店 7F イベントスペース
ミニライブ+サイン会
2010年4月17日(土)13:00
タワーレコード新宿店でCD『my Sweet Surrender』、もしくはDVD『無言歌』購入者にサイン会参加券を配布。
対象商品のCD、DVD両方を購入した方にはサイン会時にオリジナルポスター(非売品)をプレゼント。
詳細はこちら
『無言歌~romances sans paroles~』
鈴木祥子トークショー付き大阪1日限定公開
2010年4月11日(日)21:00
上映後、鈴木祥子によるトークショーあり
第七藝術劇場(大阪市淀川区十三本町1-7-27 サンポードシティ6F)[地図を表示]
料金:一般・専門・大学生1,500円/シニア1,000円
詳細はこちら
鈴木祥子『無言歌~romances sans paroles~』上映
+ミニライブ+トークショー
2010年4月17日(土)、18日(日)
2010年4月17日(土)開場18:00/開映18:30
2010年4月18日(日)開場18:00/開映18:30
アップリンクファクトリー(渋谷区宇田川町37-18トツネビル1F)[地図を表示]
料金:2,000円
『無言歌~romances sans paroles~』上映後に鈴木祥子ミニライブとゲストを招いてのトークショーあり。
17日(土)ゲスト:星占いWebサイト「筋トレ」主宰、雑誌・WEBなどでも活躍中のライター、石井ゆかり。
18日(日)ゲスト:「女という病」「ショッピングの女王」などの著書で知らる作家、中村うさぎ。
詳細はこちら
『無言歌~romances sans paroles~』アンコール上映
2010年5月3日(月・祝)~5月7日(金)連日15:00より
アップリンクファクトリー(渋谷区宇田川町37-18トツネビル1F)[地図を表示]
料金:一律1,000円
上映作品:『無言歌~romances sans paroles~』『名前を呼んで~When you call my name』+メイキング