映画の日でも割引なしのアバターを観てきました。世界の平和を(宇宙の平和は忘れたましたが)初詣で願った後で見たので、まるで戦争映画なので全然のれませんでした。人間とパンドラ星人が闘うのですが、結局両者血を流す肉弾戦に突入します。パンドラ星には地球上の生命より英知を持った植物のネットワークが張り巡らせていて、磁気嵐で人間側の電子機器を狂わすことが出来るのに、そのパワーはなぜか使用しません。自然を破壊尽くした映画の中の人間と違い、自然とパンドラ星人との共存が成立している星の哲学があるのなら、なぜ地球人の戦いの土俵で闘うのか、パンドラ星が持つスーパーナチュラルパワーで地球人の武器を使えなくすればすむことではないのでしょうか。と思ってみても、ジェイムス・キャメロン監督はマッチョな思考の持ち主なので、結局身体を張った古典的戦争を描きたいのです。血が流れ、身体がちぎれ、闘う様が大好きなのはよくわかりました。音楽も西洋音階のハリウッドスタイルのオーケストレーションの多様で辟易します。当たり前ですけど、地球人の視点で描いた映画なので、パンドラ星人を「エイリアン」と言っています。もしパンドラ星人の視点で描くなら、映画の中で地球人を「エイリアン」と称すればまだ宇宙空間で地球人という存在を相対化する眼を持った監督として多少は評価できるのですが。それに、元々スパイとして人間をパンドラ星に潜り込むなら、その諜報活動をはらはらどきどきして描いてほしいという願いは虚しく、そういう物語的展開は一切なしでとにかく戦いを描きたいというのがひしひし伝わってくる映画です。こんな感想は多分少数派で多くの地球人とパンドラ星人が戦い死んでいくシーンに映画的カタルシス、映画的エンターテインメントを感じる人が多いであろうことは否定しません。最後に3Dは、いつのまにか3Dであることを忘れるほど自然です。これは、覚醒剤をやったあとみたいに、もう2Dに戻れなくなるような記憶を脳がしてしまったのか、それともいつでも2Dに戻れるのかは今後の映画を観る時の自分の脳の反応を観察する必要があるように思いました。
*日記をアップ後、Twitterで最後のナレーションで地球人をエイリアンと言っていたという指摘があったことを追記します。