『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』について語るヴィム・ヴェンダース監督
世界的な人気を獲得しながらも2009年にこの世を去った舞踊家ピナ・バウシュ。ヴィム・ヴェンダース監督が彼女の舞台を3D映画化した『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』が2月25日(土)より公開される。第84回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされている今作について、ピナの20年余りに及ぶ友人であり、3D映画製作に俄然意欲をみせるヴェンダース監督に話を聞いた。
ダンサーたちは本物の自然のなかで見事に踊ってくれた
──今作で監督は、劇場以外の都市のなかや野外の自然のなかの、ダンサーのパフォーマンスを収録しています。ピナ・バウシュが空間の広がりをあくまで舞台のうえで肉体だけを駆使して表現しようとしたものを、自然に置き換えるという作業において、どんな困難がありましたか。
今回は3Dカメラでの撮影でしたが、とても思い通りにできました。劇場のような限られた空間に対し、光の問題など、屋外の撮影そのものとしてはそれほど難しくはなかったのです。砂や公園やプール、そして岩肌など様々な環境で撮影しましたが、それぞれのダンサーたちは舞台の上でもやはりそうした美術のなかでパフォーマンスをしてきました。ですので、彼らにとっては既に心構えがあったのです。私が選んだ本物の自然のなかで挑戦して、見事に踊ってくれました。
──そうした表現が、観客のピナのダンスへの想像力を奪うことになるのではないかという懸念はありませんでしたか?
解っていただきたいのは、ピナのインスピレーションは作られた劇場のなかから得たものではないということです。彼女は都市のなかの人の動きにすとても興味を持っていて、何時間もかけて観察することで、人間の本来のあり方、心の美しさを感じようとしていました。そこから彼女の舞台は作られていったので、この映画はある意味、その感情を再び元ある場所に戻したということになるのだと思います。
『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』より (c) 2010 NEUE ROAD MOVIES GMBH, EUROWIDE FILM PRODUCTION
──ダンサーやスタッフたちがそれぞれにピナの素晴らしさを語る場面では、そこからピナの存在感が浮かび上がると同時に、ピナの不在というものも明らかになります。彼らにはどんな話をしてもらうよう、伝えたのですか。
彼らはピナへ別れを告げることについて、既に踊りで表現してきたことだと思うのです。ですから、映画のなかでの言葉は、あくまでも記憶を再び自分のなかで整理して、心のなかの考えを語るということでした。彼らもそのことを理解していて、不在を確認するという段階からは脱していたのではないでしょうか。
この映画の製作の後、彼らはロンドンでこれまでにない規模の公演を行いますが、自分たちがピナの大使として彼女の精神を受け継いで表現していくことが、自分たちの仕事だという新しい役割を認識して、受け入れたということだと思うんです。ですから、彼らはこれが自分たちがやるべきなんだという自信を受けて、確実に継承者として活動を行うことを理解したので、もう大丈夫なのだと思います。
『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』より (c) 2010 NEUE ROAD MOVIES GMBH, EUROWIDE FILM PRODUCTION
ピナは人の心の中を探検した
──85年の出会いの後、ピナと初めてお会いになって、また親交を深めていくなかで彼女の最も魅力に感じるところは?
とてもミステリアスな人物で、目がすごく印象的で全てを見透かされてしまうようでした。ただ、とても優しかった。私には姉はいないのですが、25年の付き合いのなかで、お姉さんのような感じでした。彼女は地方で生まれ、しゃべっているうちに子供のころのなまりが出てきたりする。ですから話をしていると、お互いに若いころに戻ったような気持ちになりました。公の場ではとてもシリアスなイメージを持たれがちですが、プライベートではとてもよく笑う女性でした。そしてとにかく働く量が並じゃない。年中働いているというのが強烈な印象です。
──ドイツはオペラの演出でも、解釈を必ず入れて表現主義で実験的な部分があります。ピナにも、演劇に対するドイツ的な解釈を感じたのですが、彼女はどのくらい〈ドイツ的なもの〉を引き継いでいたのでしょう?
とてもドイツ人気質を持っていた人だと私は思います。19世紀のドイツ人は著名な探検家や登山家にしても、どこまでも他の国に出ていくという感じでした。ピナが生きたのは、戦後の非常に荒廃した時代でしたが、彼女の場合は、実際に山や川に行くのではなくて、人間の心の中を探検したんだと思います。
『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』より (c) 2010 NEUE ROAD MOVIES GMBH, EUROWIDE FILM PRODUCTION
やりたいことが表現できた3D撮影
──ピナは賞賛もされましたが、保守的な評論家から批判も浴びました。彼女が限界を突破できたのは女性だったからなのではと思うのですが?
優しく細くて手を差し伸べたくなるような女性なのですが、ピナはどんな男よりも強かった(笑)。男女関係なくそれぞれの最大の人生を生きてほしいと願い、検証していくのが彼女の踊りだったと思います。彼女のステージほど平等なところはありません。しかし私も含め、世の中は必ずしも男女平等ではないというのが現実です。彼女が舞台の上で革命を起こしたのかどうかは解りませんが、私にとっては同時代では誰よりも女性的なコレオグラファーで、かつ恐れを知らない存在でした。
──3Dをはじめこの映画のなかで実に多くの決断をしなければならなかったと思うのですが、監督自身透明な存在、エゴを感じさせなかったのですが、そうすることが必要だと思ったのでしょうか。
ピナの仕事がいかに美しくすばらしいかということを見せることは、自分が引くということですから、当然のことだったと思います。
──『パレルモ・シューティング』では、主人公のカメラマンが自分のアートに新しいテクノロジーを取り入れるという設定です。アートとテクノロジーの関係については、どのように捉えていますか。
それまでできなかったことができるようになるのがテクノロジーならば、非常に意味のあることだと思います。今回の作品が一番の例で、3Dがあったからこそ自分がやりたいことが表現できたのです。
『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』より (c) 2010 NEUE ROAD MOVIES GMBH, EUROWIDE FILM PRODUCTION
──監督はドキュメンタリーが3Dに適しているということですが、そのお理由は?
そう言いながらも、その確信を証明してくれた作品はまだないと思います。これからまだまだ開拓していって、自分で確かめていく必要がある。
監督が映画を作るには一種の条件というかコードがあると思っているのですが、そのコードが壊されて新しいコードが作られることによって、我々も納得する。この映画でダンスには3D、という証明ができた。これまで3Dが必然だと感じたのは『アバター』だけでしたが、好奇心を持って、次に誰がそうしたことを生み出してくれるのか早く観たいし、私も作りたいと思っています。
──ヘルツォークも3D(『『世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶』』)を製作しましたが、彼と3Dの可能性について話をしたりしたのですか?
ヘルツォークは3Dでの製作について「満足しなかった」と言っていました。彼の場合はどちらかといえば即興的な作品だったので、その点でやりたいこととは異なっていたのでしょう。私はこの『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』で自分がやりたいことができたので、この言語を使い続けていきたいと思っています。
(インタビュー・文:駒井憲嗣 撮影:荒牧耕司)
『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』
2月25日(土)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿バルト9他 全国順次3D公開
監督・脚本・製作:ヴィム・ヴェンダース
出演:ピナ・バウシュ、ヴッパタール舞踊団ダンサー
原題:PINA
104分/ドイツ、フランス、イギリス/カラー/ヴィスタ/SRD
提供・配給:ギャガ
公式HP:pina.gaga.ne.jp
▼『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』予告編