1984年生まれの日高進太郎には、凡百の若手アーティストと異なる点がふたつある。
ひとつは描線の豊かさである。
現在、美術大学を受験し、合格するためには、高度なデッサン力を要求される。狂いのない素描は、美術を志す若者にとって習得が必須の技術となっている。
残念ながら、正確さを目指してきたあまり、めでたく才気あふれる美大生になるはずの彼らが、自由な描線を奪われ、不自由で画一的な作品しか生み出せない人間になってしまう場合も多い。
しかし、現在多摩美術大学大学院に学ぶ日高進太郎には、そうした心配は全く無用である。あるときは鷹揚に伸び、あるときは執拗に埋め尽くされる点と線には、個性を打ち消された痕跡はまったく感じられない。それどころか、ときに不安になるほどの無限に自由な描線に、見る者は圧倒されるだろう。
そしてもうひとつは、息をのむほどの細かい表現をもちながら、そこには常に巨大な安定が横たわっていることである。宮崎県日南市生まれの作家に、大自然の力が宿ると想像するのも浅薄な発想だが、かれの作品には、原始人の安らぎがある。陽が昇り、陽が沈み、一日の恵みに感謝する。そんな朴訥な心をもって、かれの作品は語りかける。作家の目指す表現は、究極的には人類の平和を主題としているのだ。
そして銅版画という手段が、日高作品に温かみと正確さの両方を与えていることは、作家にとって幸福な出来事である。イメージの反復のために版画を用いるという、あたりまえのことを作家は日常のなかで反復する光景に転用し、見事に芸術的解決をしている。日高進太郎は、銅版画という技法に愛された作家なのだ。
最新作「S市風景」では、作家は自身の住む町の家並みと、峠を越える送電線の双方を、視線を変化させながら楽しんで見渡せる展示空間を創出している。ここにはデビッド・ホックニーのムーヴィング・フォーカスをふまえて、牧歌的に解決した日高進太郎の才気がある。作家が非常に計算高い芸術家であることも、われわれは見逃してはならない。
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