2009-10-02

『パリ・オペラ座のすべて』を観て このエントリーを含むはてなブックマーク 

試写を観たのは8月ですが…
現在のドキュメンタリー映画のトレンドは、観察ドキュメンタリー、セルフ・ドキュメンタリー、フィクショナル・ドキュメンタリー、その他にざっくり分類できると思う。

ワイズマン監督は、いわゆる観察ドキュメンタリーの大御所と言えるだろう。どこまでも潜入していく冷徹なまでのカメラと、キャプションやナレーションといった説明を一切排除したクールな編集…

とはいえ、私はこれまで『チチカット・フォーリーズ』とか初期の作品しか観ていないので、あまり偉そうなことは言えないのだけれど、今回の作品には被写体を撮る眼差しにやさしさのようなものが感じられたのは気のせいだろうか?

そんな彼が、伝統あるパリ・オペラ座に84日間にわたって密着したのが本作。カメラは日常の練習風景から創造の過程、食事の様子、会議や交渉の光景、衣装部屋、公演舞台まで、日ごろ私たちが見ることのできない素顔を捉えていく。40年ほどの短い現役生命を踊り抜くダンサーたちの一瞬の輝き…限りある人間の身体表現ゆえの気迫が伝わってくる。

この映画の魅力の大部分は、ダンサーの存在感によるところが大きい。ワイズマンがどーしたこーしたというより、とにかく彼らの身体性を実感するだけで、それだけで価値がある。それに、オペラ座の運営を仕切る芸術監督のブリジット・ルフェーブルの知性と情熱、そして何よりも振付家たちの深みあるカッコよさ。

実は、意外とわかりやすいな…というのが率直な感想だった。余分な説明がないからこそ、ストレートに伝わることだってあるのかもしれない。

さらに、カメラは屋上や地下までも映し出し、オペラ座の秘密をさりげなく明かしてくれたりする。へえ~、こんなになってるんだという感じ。ぜひ確認してみてください。

以前、諏訪敦彦監督が教え子である造形大の学生たちと飲んでいた時に、フレデリック・ワイズマンは「存在の小さい人」、ロバート・クレイマーは立ち塞がってくるくらい「存在の大きい人」(身長が高いという意味ではなくて)、という表現をしていたことがある。ワイズマンの存在がほとんど感じられない映像を見ていると、だからこそ撮れるタイプのドキュメンタリストなんだろうなと思う。

で、その時、映画作家には大きく分けて、「人間よりもフィルムが好きなタイプ」と「フィルムよりも人間が好きなタイプ」の2種類があって、ワイズマンは前者のタイプだよね、という話にもなった。

聞くところによると、ワイズマンという人は、あらかじめ撮る対象について詳しく調べたりせず、いきなり現場へ行ってとにかく撮りまくるらしい。撮りながら知っていく…というか。現場では録音を担当していて、その小さなクルーは目立たないがゆえに空気のように溶け込んでいるのだろう。そして、編集室に持ち込んだら自分のもの…というタイプなんじゃないかと。

今後、パリ・オペラ座の公演予定(2010年3月)も控えているようなので、興味のある人は要チェックでしょう。

キーワード:


コメント(0)


中田 文

ゲストブロガー

中田 文

“今、ドキュメンタリーの編集にどっぷり浸かっていて、なかなかチェックできないし、webDICEのブログの仕組みもいまだよくわからないので、ほぼたまに日記状態ですが、どうぞよろしくです。”