神は己の姿に似せて人を作った。・・なるほど、人間って神様なのか。
私の部屋は、ちょっと前のナポリのようになっている(ゴミが散乱)。まずは山積みの新聞から片付けようと思い、少しまとめた。つい本文を読んでしまったりで、ろくにはかどらなかった。
そんなだらだらした作業だったが、目にとまった記事にこんなのがあった。ある男性アイドルへのインタビュー・・主演したドラマで、ホームレスの役をやることになった。そこで彼は、手にコップ酒を持つのを提案したという。受け身ではなく、自分から進んでドラマ作りに参加しているというニュアンスが読み取れる内容だった。
コップ酒を持つホームレス。
記事は3年ほど前のものだったが、当時の世の中がホームレスをどう見ていたのかがよく現れていると思った。テレビに映されたことで、つまり「紹介された」ことで、「ホームレス=コップ酒」というイメージはさらに浸透しただろう。
ホームレスに対する「自業自得」「自己責任」という世間の印象は、こうした何気ない場面の積み重ねによって作られ、育てられるんだなと感じたのだった。あいつらまた酒か。こっちは必死に働いてんだよ。飲む暇あるくらいなら努力しろよ。自業自得。自己責任・・。今では、さすがにそう見る人は少なくなったとは思うが。
時期的には、その新聞と同じ頃だったかもしれない。ホームレスが、警備員に蹴られるのを見たことがある。
場所は新宿だっただろうか? 階段の踊り場にホームレスが寝ていた。警備員がそれを見るなり、走り込むようにして蹴りを入れたのだった。地下へ通じる階段での出来事で、たまたま通りかかっていた私はそれを表から見下ろす形で目にしたのだった。
「人間が、人間にそんなことをする!」とてもショックだったのを覚えている。何か大事なものが裏切られたような気分だった。
それは、私が無意識のうちに抱いていた人間一般への信頼とか希望みたいなものだったのかもしれない。「人間同士であんなことを!」・・今思うと、ずいぶん無邪気な感想だなぁという気がする。「まぁ人間だもの。あれくらいやるだろうサ」なんて今なら思ってしまいそうだ。
警備員が蹴ったのは、ホームレスの足だった。靴を履いていない裸足の、足の裏の部分。顔とか腹ではない。警備員なりの配慮だったのかもしれない。
ホームレスの駆除をいつも会社から命じられていて、それに一生懸命になるあまり、つい足が出た。自分の仕事をしっかりやろうという熱意が、あんな行動に走らせた。どこか他へ行くようこれまで何度も注意していた、でもそのホームレスはまたそこに戻ってきた・・色々な状況が考えられる。
こんなことを書くのはどうかとも思うが、あえて言えば、警備員というのは社会的にそれほど高い地位にあるわけではないと思う。それが、ホームレスに対して厳しい態度を取る・・
「弱者同士が喰い合う構図」、それを見る思いがした。
格差社会づくりを主導し、広めてきた連中は、弱者同士が潰し合うのを眺めている。自分らに被害及ばないよう常に注意して。自分らに攻撃が向かってこないよう、うまい具合に敵を作り出し、イライラしている連中の前に差し出す。
それに気づかず、弱者同士がいがみ合い、潰し合っている限り、そいつらの地位安泰。
小泉・竹中改革ってやつが、どこの大学教授や経済学者、経営者のもとでアイデア出され、実行されたのかをチェックしてみる。
「ナンダー、同じような顔ぶれの連中が決めてきたんだね」そう気づく。話し合いの議事録を読んでみると、誰がどんなことを言ったのかも分かる。「ヘー。この人のこういう考え方が、政策に強く反映されたんだね」と。
会議に一回出席するたび手当がいくら支払われるのかも気になる所だ。だって私たちからかき集めた税金なのですから!
ご利用は、計画的に。