2009-01-29

イケメン革命家 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 今日は天気もいいし、布団干すついでにイケメンの話をしようか。

 そのイケメンは南米生まれで、あるとき日本に来た。といっても出稼ぎではなく、政府の人間として。
 で、夜行列車で広島に行き、原爆資料館を見学。案内してくれた日本人にこう言ったみたいだ、『ミエントラスセアセエンコントラールタルウンオホエンUSA、エスタインモビルアメルセドデUSA?』(スペイン語。注1)
 日本語にすると『アメリカにこんな目に遭わされておきながら、あなたたちはなおアメリカの言いなりになるのか』となる(注2)
 つまり、原爆落とされてこんなめちゃくちゃされてんのに、なんで君らは・・ってことだ。

 そんな重たい問いかけを発した彼、すなわち1928年にアルゼンチンに生まれ、20代のとき南米をバイクで旅する中で貧富の差とか社会の不平等さを目の当たりにし、そのあと様々な良い出会いとかムカつく事件を経験する中で『こんな世の中オカシイやろ』と立ち上がり、その活動はけっこう世界を揺るがすくらいスゴかったし、多くの人々の尊敬や賛成や『あとに続け』ってフォロワーを集めるものだったんだけど、やっぱりその分敵も多くて(彼のことを良く思わない人たちはたくさんいて・・つまり、全世界が彼の目指しているような社会になってしまったら、せっかく築き上げてきた自分の地位とか貯め込んできたおカネちゃん、財産がすっかりひっくり返り、無くなってしまう人たちがしっかりいて、その人達が世界の中心となって色んな物事を決めたりしていたから・・)で、そんなふうに敵が結構多くて、でも彼は頑張ったのだけれど結局は志半ばでやっぱり殺されてしまった男。
 今やTシャツのプリントとして世界中にその顔は広まっていて、でも遺族は『肖像権がどうのこうの』なんてアナルの穴小セェことは全く言わネェ心の広さで、ジョン・レノンに『自分が高校生だったあの時、世界で一番かっこ良かったのは彼だった』といわしめ、グローバリゼーション=世界規模の格差社会を作る動きに『クソッタレ』を言い続けているマジハンパネェエグいミュージシャン=レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンがLiveの時よく垂れ幕掲げていて、ちょうど今渋谷とか新宿でその生き様が映画にもなっている男・・エルネスト・ラファエル・G・デ・ラ・セルナだ。いわゆる“チェ・セルナ”の事だ(よく通っているのは“チェ・ゲバラ”って呼び名だが・・たまには違ったふうに呼んでもいいじゃないか、気分を変えて。だからセルナで通す事にする)。

 で、そのセルナだが、日本に来たのは1959年のこと。その頃の日本って、戦争ボロ負けの焼け野原から頑張って立ち直って、アツい経済成長を世界に示していた。そこにいろいろと学べる事はあるだろう、ってワケで彼はやってきたのだ(彼の国は新しく生まれ変わってサァこれから、ってトコだった)。
 日本で、セルナは都知事と会ったり、大臣と貿易の話をしたり、あとトヨタの工場を見学したりした(もちろん、広島にも行ったよね)。

 で、私は思うのだが・・もし、今セルナが生きていて現代の日本に来て、トヨタの工場を見学したとしたら・・たぶん、そこで働いているブラジルとかペルーからの出稼ぎ労働者にこう尋ねただろうなぁ『君の時給は、日本人と一緒なのか? 不況だからってあっさりクビ切りするような会社を、ぶっちゃけどう思う? かつてここの幹部は経団連の中心メンバーとして労働者を使い捨てにするような法律をプッシュしたわけだが、どうなんだ? それでもトヨタの車を買ったりするのか? キャノンのデジカメ買ったりするのか?』
 日本人の派遣ライン工にも、きっと似たような事尋ねるだろう。『ネットカフェ難民とか、派遣労働者のホームレス状態を生み出したのは政府がちゃんとしたセーフティネット作るのをサボったからだが、どうだろうか、それでも次の選挙では自民党に投票するのか? 公明党に投票するのか?』など。
 ヤー、非常に興味深い。

 あとセルナはある時こんなメッセージを投げかけ、志を同じくする人達に『その考えがあったか!』と驚かせたり、大いに勇気づけたが(そのメッセージ↓)
『二つ、三つ・・数多くのベトナムを作れ、これが合言葉だ』(注3)
 もし彼が石原真理子の事を知ったら、たぶんこう言ったと思う『二人、三人・・数多くの石原真理子を作れ、これが合言葉だ』と。
 なぜ、石原真理子なのか? あのプッツン女優を・・理由については、またあとで述べます。今日はこの辺で。

注1 『アメリカにこんな目に遭わされておきながら、あなたたちはなおアメリカの言いなりになるのか』をスペイン語への自動翻訳にかけたら『¿Mientras se hace encontrar tal un ojo en U.S.A., está inmóvil a merced de U.S.A.?』になった。それをヒラガナ書きした。
 彼が実際どんなふうに言ったのか、やはり気になります。いま、それについてキューバの『チェ・ゲバラ研究センター』にメールで尋ねているところです。私のヘボ英語で・・。
 チェ・ゲバラ研究センター
 http://www.centroche.co.cu/

注2 『ウィキペディア』の“チェ・ゲバラ”の項目から引用。出典によって微妙に言い回しは違っていて、別の本では『米国にこんなにまでされてなお、君たちは米国の言いなりになるのか』(太田昌国『「国家と戦争」異説』P80)になっている。まぁ同じようなものだろうけど。

注3 太田昌国『チェ・ゲバラ プレイバック』(現代企画室、P12より引用)

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菊田純一郎

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