M.-Cedarfieldさんの日記
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2013
4月
14
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『ふたりのイームズ』クロスレビュー:映像クリエーターとしての先見性に脱帽
「イームズ」といえば、あの「イームズ・チェア」を作った人?程度の予備知識しかないままに試写会場に足を運び、帰る段にはすっかり自分の不明を恥じる結果となった。 あれもイームズ、これもイームズという数々の業績を見せつけられたなかでも、『パワーズ・テン』には心底驚いた。このミクロからマクロへのズームイン、ズームアウトを一点凝視のハイスピードで行うカメラ操作は、日常的に目にするものだけに映像表現の文...
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2012
12月
16
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『はちみつ色のユン』クロスレビュー:「ユン」の静かな視線の向こうに、「ユンボギ」を見たような気がした。
「はちみつ色のユン」を観て、若い頃に観た一つの映画を思い出した。大島渚監督の「ユンボギの日記」といって、40年ほど前の学生時代に一度観て、それきりの映画であるが、妙に心に残っている。 この映画は60年代の韓国に実在した少年ユンボギの日記(当時ベストセラーになった原作本がある)をベースに、スチル写真とナレーションを組み合わせて、軍事政権下の厳しい環境にあえぐ韓国国民の心情を描いたものであったよ...
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2012
10月
21
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『アルゴ』クロスレビュー:ドラマティックでスリルに満ち溢れた展開、細部における丁寧な時代考証は、娯楽映画として純粋に楽しめる要素をふんだんに備えている。
映画の舞台設定として、実際にあった事件を背景に置くということは、よくあることだ。しかし、事件の背景にあった「実話」を、映画によって明らかにするということは、そうあることではない。 「アルゴ」を観るまで多くの人は、6人の解放がカナダ大使館の尽力によって成し遂げられた快挙であったことは承知していても、その背後にCIAの活躍があり、その手法においてハリウッドの協力があったなどということは、知らなか...
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2012
9月
17
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【『ハンガー・ゲーム』クロスレビュー】米国リアリティ番組の定型フォーマットをベースにしたサバイバル・アクション
「ハンガーゲーム」は、「バトルランナー」や「バトルロワイヤル」などの独裁政権下での殺し合いをゲーム化したディストピアという、米国リアリティ番組の定型フォーマットをベースにしたサバイバル・アクションである。 設定そのものからして目新しいものではなく、敢て新しいアイディアを探すとするなら、恋愛や友情をからめた人間ドラマの要素を持ち込んだところにあるが、それも全てヒロインの勝利で終わる予定調和的な演出...
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2012
4月
19
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『こわれゆく女』クロスレビュー:あるがままの狂気を描き、“アメリカン・インディペンデント”色に彩られた『媚びない映画』
「こわれゆく女」を観て、いかにも70年代の映画だと思った。どこが70年代風かというと、一言で表現するのは難しいが、『媚びない映画』とでもいうのだろうか、観客の評価を意識した、妙なへつらいが無いのである。それでいて、時にスリリングな、時にユーモアを帯びた場面など娯楽的要素も随所に盛り込まれているところが、50年代から60年代にかけての所謂“ヌーヴェルヴァーグ”風な作りとは異なる点であって、まさに“ア...
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2011
9月
11
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『緑子/MIDORI-KO』クロスレビュー:『過剰感』の表出がいざなう白日夢のような世界。
「緑子/MIDORIKO」を観て、まず第一に思ったのは、画面上に横溢する『過剰感』である。登場人物の旺盛な食欲、ほとばしる吐瀉物や排泄物の描写はいうに及ばず、手書きによる細かい線描画は「たんねんに」というありふれた言葉では収まりきれないほどに細密かつ荒々しいタッチにて『過剰感』を演出している。ひとつひとつの絵のつくりが丁寧であるだけに、いやまして画面いっぱいに広がる『過剰感』が一種グロテスクな祝祭...
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2011
7月
17
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「 ジョン・レノン,ニューヨーク」レビュー:70年代を歴史的記憶としてしか追体験することができない世代の人々にこそ、この映画を観てほしい。
全編を通じて流れる音楽は、いずれも耳に馴染んだなつかしいメロディ、なつかしい歌声。 目にする数々のエピソードも、そのほとんどは既知のものばかりであるような…。 今回の視聴体験は、これほどまでに、ジョン・レノンという男の存在が、ごく自然に、私の日常に入り込んでいたのかという、ある種の感慨にとらわれた2時間であった。 正直いって、<未公開映像>とか<未発表音源>というもの...
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2011
6月
17
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『BIUTIFUL ビューティフル』クロスレビュー:イニャリトゥ監督は、グローバル時代における21世紀版『生きる』を描くことに成功した。
「人は人生の最後の日々に何をするのだろう。」―― これは黒澤明監督が半世紀以上前に『生きる』で問うたテーマであり、かつ、イニャリトゥ監督が『BIUTIFUL』で「最も描きたかった」ことでもあろう。イニャリトゥ監督は19歳のときに『生きる』を観て衝撃を受けたという。思い起こせば、私もほぼそのくらいの年頃に初めて『生きる』を観て深い感銘を覚えた。今から40年近くも前のこと、場所は京橋のフィルムセンタ...
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2010
10月
02
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『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』クロスレビュー:様々な感情の交錯が、シームレスに肉体をたゆとう永作博美の演技に注目
「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」は佳品である。東陽一監督の他の大作と比すれば小品ではあるが、心なごむ佳品である。 何よりも俳優陣が良い。主役の浅野忠信は言うに及ばず、他の脇役陣が充実していて、とりわけ、アルコール病棟の患者を演じる志賀廣太郎、北見敏之、光石研など、彼ら個性派の演技を観ているだけでも、楽しめる。なかでも、女医役の高田聖子には何ともいえないリアリティがあり、その存在感の際立ちには、...
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2010
6月
26
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『デルタ 小川国夫原作オムニバス』クロスレビュー:曠野と故郷、二つの世界の遠近法の中で
「デルタ 小川国夫原作オムニバス」を観た。 「誘惑として」「他界」「ハシッシ・ギャング」ーこの3作品に共通するのは、 小川作品の多くに登場する静岡県・大井川流域が舞台である、というこ とだ。しかし、この映画を目にした観客の心が旅情に誘われることはない。 映像を通して私たちが目にするのは、荒野である。それは、小川作品に 共通する、もうひとつの原風景である聖書の世界に現出する、荒涼たる 風...
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