2013-04-14

『ふたりのイームズ』クロスレビュー:映像クリエーターとしての先見性に脱帽 このエントリーを含むはてなブックマーク 

「イームズ」といえば、あの「イームズ・チェア」を作った人?程度の予備知識しかないままに試写会場に足を運び、帰る段にはすっかり自分の不明を恥じる結果となった。

あれもイームズ、これもイームズという数々の業績を見せつけられたなかでも、『パワーズ・テン』には心底驚いた。このミクロからマクロへのズームイン、ズームアウトを一点凝視のハイスピードで行うカメラ操作は、日常的に目にするものだけに映像表現の文法に則った標準技法であるように思われた。しかし、それを初めて具現化して見せたのが『パワーズ・テン』であったという、指摘されて初めてその事実に気付いてみると、改めて「なるほど」と首肯するほかなく、チャールズ・イームズというクリエイターの先見性に、脱帽せざるを得ない。

『パワーズ・テン』に見られる映像表現手法は、作家固有の『文体』ではない。今や全世界中のあちらこちらに、あまりにも多くのコピーが出回り過ぎたがために、すでに普遍的な『文法』化した表現ではないだろうか。たとえば、文章表現でいうところの、倒置法とか、体言止めのように。倒置法を世界で初めて使った人が誰か分からないように、イームズが映像表現の歴史に残した数々の画期的なアイデアも、創始者として記憶されることはないまま忘れられたことであろう。少なくとも、この映画がなかったならば…。

『ふたりのイームズ』はドキュメンタリー作品として優れた出来栄えであることは言うに及ばず、映像表現に携わる人々や、携わることを志向する若い人達に見てもらい、積極的に語り継いでもらいたい映像記録でもある。

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M.-Cedarfield

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