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日程2015年02月11日
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時間16:00
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会場蕨(わらび)市民会館
水俣病事件が起こる前の水俣の原風景と、
水俣病を「のさり」として受け止めた受難者、故杉本栄子さんの思想。
これが『2001水俣ハイヤ節』に込められた思いです。
水俣病の語り部として活動されていた杉本栄子さんは、
歌や踊りといった芸能を通じて、水俣のことを伝えていきたいと考えていたそうです。
その願いは、荒馬座との出会いによってカタチになりました。
2001年に完成した水俣の海や山、暮らしを表現したハイヤ節は、
今ではすっかり地元に根付き、水俣の小学校の運動会で踊られているといいます。
そこには、患者家族の子どもの姿もあれば、両親がチッソで働いている子どもの姿もあるそうです。
西山正啓監督の映画『のさり~杉本栄子の遺言』のなかで、栄子さんが小学生に教えているのは、『2001水俣ハイヤ節』です。
2008年に栄子さんが亡くなってからは、語りをお聞きすることは出来なくなりましたが、栄子さんの思いのつまったハイヤ節が、今も水俣で踊られているという事実に、一筋の希望の光が見えるような気がしてなりません。
そして、この公演でハイヤ節を踊るのは、荒馬座の準座員です。
準座員は、保育士や学校の教師などの仕事をしながら、週一度、荒馬座の稽古を続けている方々。
踊りや歌で暮らしているのではなく、別に仕事を持ちながら、準座員としての稽古を続けることを選択してきた方々です。
芸能とは関係のない仕事をしつつ、水俣に思いを寄せられていることに、私は強く惹きつけられました。なぜならば、水俣病事件というのは、私たちの問題であるからです。
水俣病のことは水俣の人に任せておけばいい。
水俣病のことは、水俣病の専門家(そうした人がいるかは疑問だが)がやればいい。
と考えている限り、水俣病事件は終わらないし、同じような事件が、これからもどこかで起きるでしょう。
なんて、難しい話になると、興味が失せてしまいますね。
難しいことは、一度脇に置いておいて、
『2001水俣ハイヤ節』を五感で感じてください。
情報でふさがれた体中の毛穴を解放させて、
『2001水俣ハイヤ節』を体感してください。
・・・(準座員からのメッセージ・チラシから引用)・・・
2014年8月には、準座員の有志で水俣へ取材旅行に行きました。
水俣病の患者さんと『2001水俣ハイヤ節』を一緒に踊り交流する中で、
水俣病は今も終わっていないこと、でもそれを「のさり」(授かり物)ととらえ、常に前進して行こうとする姿にも出会いました。
その後は……福島県浪江町の芸能保存会の子どもたちと交流をしました。
子どもたちは、いつふるさとに帰ることができるのかわからない状況の中でも、芸能を大切に守っていて、私たちに「ふるさとの踊り」を教えてくれました。
この二つの取材から、今の時代に「何のために芸能を守り育てていくのか」を改めて考えさせられました。
今回も私たちの言葉で詩(うた)います。
「よりよい明日になりますように」。
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