戦後の写真界に忽然と現れ、「アレ、ブレ、ボケ」に代表される革新的な手法で衝撃を与えてきた森山大道。路上から日常の断片を撮り続けるストリート・カメラマンとして人生を貫く一方で、近年はハワイの雄大な自然を写すという、自分の内にあった「もう1本の水脈」を探ったりもしている。
本展は、そんな森山の「足跡」と「今」とを2本立てで見せる一大展覧会。「Ⅰ.レトロスペクティヴ1965-2005」では40年の総括を、「Ⅱ.ハワイ」では最新作を、同じボリュームを割いて東京都写真美術館の2会場で公開している。とても見ごたえがあった。
まずは「レトロスペクティヴ」。デビュー期からラディカルな「プロヴォーク」の活動、スランプを経てより深い世界を築き、パワフルに街を記録し続ける現在に至るまで、200点の作品を5つのブロックに分類して見せるストーリー仕立てのような構成が分かりやすくおもしろい。
有名人のポートレートを多く撮った細江英公の助手を務めていた森山は、デビュー期には寺山修司の天井桟敷や戸波龍太郎一座などを被写体として評価も受けたが、この昭和のテイストだけは持ち続けながら以後は既成の写真の概念に問題を突きつける作品を撮るようになる。
車で国道を走りながら風景に向かって銃弾のようにシャッターを切る「国道シリーズ」や、既存の印刷物やテレビの画面を写す「アクシデント」シリーズなどは攻撃的で刺激に満ちており、この時代はどれほど斬新だったかと思わずにいられない。
しかし彼はこの後スランプに陥ってしまう。原点に立ち返るべく訪れた北海道を写す作品や、立ち直るきっかけとなった「光と影」シリーズは、内省的だが美しく心洗われる。ひっそりとしながらも確かに生命力を秘めた庭先のなにげない光景に、じわっと言いようのない幸福感がこみ上げてくる。
作為などいらない、愛するこの世界をただ記録したいだけ。復活を遂げた森山の作品はどこまでも猥雑でパワフルだ。新宿で、大阪で、ブエノスアイレスで、男も女も野良猫までもが目をぎらつかせそれぞれの方向を向いて遮二無二生きる。森山は雑踏の中に紛れて、そんな彼らの日常を盗み取るように写すのだ。
無味乾燥に見える都会だけれど、入り込んで見渡せばひとりひとりいろんな思惑を抱いた人たちの集合体なのだ。森山の好奇心と慈愛に満ちた眼がそう教えてくれる。
この展覧会ではカタログを販売しておらず、その代わり展覧会を記念して『森山大道論』という本が出版される。カール・ハイドや大竹伸朗、渚ようこなども執筆していて興味深い。このときは買わなかったけど、パラパラめくった中でカール・ハイドの賛辞に満ちた文章がとても印象に残った。
「世界は塵でできている。そしてあらゆる塵は美しい」――うろ覚えだけど、こんな素敵な言葉を贈っていたな。知的で尖っていて、それでいてすべてを包み込んでくれるように優しいアンダーワールドの音楽と森山の写真は確かに通じていると思った。
そして「ハワイ」。モノクロの特大サイズのプリントが整然と並ぶ光景に最初度肝を抜かれてしまった。圧倒的な展示方法。でも雄大な景色はこれぐらいのサイズで見たいもの。最後の部屋で記録映像も上映されていたのだが、音楽はジム・オルークが手がけたもので、それが会場にも聴こえてきていて神秘的な雰囲気を増幅させていた。
森山氏は今年70才ということだけど、映像や写真で見る限り、まったくそんなふうには見えない。髪も真っ黒で若々しい。ハワイのあとはまた東京を撮りたいと言う、この精力的なことには驚くばかり。本当に刺激に満ちた展覧会だった。