ケイト・ウィンスレット主演の映画『愛を読む人』で彼女が演じる主人公は、文字が読めない設定である。
戦時を生き抜いた人物なので、教育を受ける機会に恵まれなかったか、あるいは貧しい家庭の出身だからか、と思って映画を最後までみた。
ところがこの主人公について、難読症(Dyslexia、ディスレキシア)だと内田樹さんが『日本辺境論』で書いているのを知って驚いた。
難読症とは、学習障害の一つで、脳の働きが一般の人と異なるため、文字が読めない状態のこと。
『愛を読む人』で主人公は難読症だったのだろうか?
映画の後半、主人公は読み書きを学習し、どうにか手紙を書くことができるようになるが、これはどう解釈したらいいのだろう。
難読症の人は、学習すれば、少しの読み書きはできるようになるのだろうか?
それとも、主人公は難読症ではなく、学習する機会に恵まれなかっただけなのか。
内田樹さんの本では、難読症から識字率の話にうつり、欧米では非識字が重大な社会問題であり、米国では人口の10%が難読症で、何年か前の『フィガロ』という雑誌には、フランスの非識字率が10%を越えていると書いてあったという。
難読症が日本ほど珍しくないという欧米であれば、主人公が字が読めないのは、難読症のせいだろうと考えるかもしれない。そう仮定したとして、ならばなぜ、主人公は、文字が読めないことを隠し、あのような決断をするのだろうか。