2011-08-04

映画『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』から、『ヨコハマメリー』 水俣病患者支援者たち #eiga このエントリーを含むはてなブックマーク 

写真:横浜・伊勢崎町にあった「根岸屋」の跡地 2007年撮影

藤田敏八監督の『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』(1970年)に、見逃せない二つのシーンが登場した。

一つ目は、横浜伊勢崎町にあった「根岸屋」での撮影シーン。
店内撮影では、そこが根岸屋だとは気づかなかったが、店から原田芳雄さんと渡哲也さんがでてきて気づいた。
「根岸屋」の看板。背景にはローマ字の「NEGISHIYA」も見えた。
かつて米軍基地が横浜にあったころ、根岸屋は米兵と、米兵を相手にする女性が集まる飲み屋だったという。
店には入らず、根岸屋の近くの通りに立っていたといわれるのが、メリーさん。
映画『ヨコハマメリー』に登場するメリーさんだ。
ヨコハマメリーの撮影時、すでに根岸屋は火事で消滅していて、店の跡地は駐車場になっていた。かつての常連客二人が、昔を思い出しながら、駐車場の地面を指差し、「このあたりに何々があって」…と話すシーンが、『ヨコハマメリー』にはあった。
まさか『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』で、火事で消滅する前の根岸屋に出会えるとは。(涙)

二つ目は、新宿を歩く渡哲也さん&原田芳雄さんのシーンに、署名を集めている水俣病患者支援者の姿が写ることだ。写真家・桑原史成さんの写真を使ったプラカードや、「告発」のゼッケンがカメラに映っていた。
歩行者天国となった通りで、水俣病支援の署名をする渡さん。署名は実際にしたのだろうか。水俣病患者の支援者は本物?役者?

よくよくこのシーンの背景に映っているものを見ると、映画館・日活オスカーでは、『戦争と人間』が上映中だったことがわかる。この映画は三部作で、1970~73年に公開されていた。『新宿アウトロー』は1970年の作品。70年前半に新宿で映画の撮影をしたのだろうか。ちょうどその場に居合わせた水俣病患者の支援者たちを、役者とからめ、フィルムにおさめたのだろうか。

似たようなシーンを写真で見た記憶があった。写真家・宮本成美さんの写真集『まだ名付けられていないものへ または、すでに忘れられた名前のために』をめくり、1971年1月に新宿で撮影された一枚に写真を見つけた。水俣病患者支援者が新宿の通りで署名を集めている背後には、映画で見たのと同じ映画館が映っていた。そのとき上映されていたのは、『エデンの東』だった。

・・・

このようなことを、ツイッターで短くつぶやいたところ、ありがたいことに、新宿での撮影について、ご存知の方からつぶやきがあった!

@koutouwinter さんによると、
「本物です。藤田敏敏八監督の「共闘」ですな。東京告発の機関誌にロケの様子が書いてあったような…」

とのことで、さっそく、東京告発の機関誌をパラパラ見ているのですが、その記事が見つからず。引き続き、記事探しをするとともに、当時のこと、ご存知の方いらしゃいましたら、お知らせいただけると嬉しいです!

ツイッター)http://twitter.com/#!/minori_okd

ブログ)http://minoriokuda.blog133.fc2.com/

追伸:2013年2月28日
水俣病患者支援者との共演?共闘?
映画『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』 のあるシーンについて
http://minoriokuda.blog133.fc2.com/blog-entry-147.html
という記事を書きました。


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奥田みのり

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“フリーランスのライター Twitter→ https://twitter.com/minori_okd ”


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