原田芳雄に向かって自分が弔辞を言う、こんな馬鹿げた、悪ふざけはあるだろうか。弔辞という文字も正確に書けなかったし、弔辞とは、故人の業績をたたえ人に伝えるとあった。いま、芳雄の業績なんか称えたくないし人に伝えなくていい。ただただ、ただただ、おまえが今ここにいてくれればいい。おまえが今ここにいて「これは冗談だ」と言ってほしい。それが芳雄、俺たち仲間に対しての最大の業績だよ。
ほらみろ。破たんしてしまったじゃないか。おまえが悪い。じゃあ、こうしよう。これは、映画の一場面として、アドリブで、何か、しゃべってみる。
芳雄、おまえと一緒にやった映画、全部うまくいったな。そして、最新作「大鹿村騒動記」、あの2週間、おまえが病魔と闘いながら作品に挑む姿は感動的だったし、凄味さえ感じたよ。あの映画の原案が芳雄だと聞いて、台本を読んだとき、正直おれにはよく分からなかった。なぜ芳雄がそこにこだわるのか。なぜ、そこまでこだわるのか。よく理解できなかった。でも、完成試写を見たとき、なにか、心が震えるのを感じたよ。今も感じている。
あの2カ月後、日本が未曾有の大災害に襲われ多くの村々が壊滅的打撃を受けてしまった。そして今、その各村々の方々は一緒に手を取り合って過酷な環境の中、苛烈な現実を乗り越えようと一生懸命、頑張っている。その力の源は何なのか、どうしてそうできるのか。この映画で、その源の一端をほんのささやかでも提示できたのではないだろうか。
このように原田芳雄は直感力が鋭く動物的カンと言ってもいい。いつも、人の心の活断層のきしみをだれより早く聞き取り、そして予感し、具体的な作品に興して見事に具体化してみせたよな。芳雄、おまえの力と身体は、まだまだ今も映画界に必要だよ。おまえが、次回作、どんなことをやりたかったのか、どんな声を聞き分けていたのか、何を予感していたのか、これから家族の方々に教わって具体的な映画になれるよう、俺も含めて一生懸命頑張ってみるつもりだ。具体的になったらば、すぐに報告に行くから、それまで、すこし、ほんのちょっとだけ、休んでてくれ。また破たんしそうだからこれでやめる。芳雄、だらしなくてごめん。