「プロ」という言葉を何気なく使っているけれど、スポーツの「プロ」というのは、良く考えると、その収入源はなかなか興味深い。「プロ野球選手」とか「プロサッカー選手」というのは中でも比較的わかり易いが、例えば「プロ・スキーヤー」とか、この映画の主役「プロ・サーファー」となると、日本に住むスポーツに詳しくない私からすれば「賞金だけで食べられるのか?」なんて思ったりする。
この映画でひとつ分かったのは、「プロ・サーファーは写真を撮られて、雑誌に紹介されることがとても大切だ」という事。つまり「サーフィンというスポーツの振興」とそれにともなう「用具等の売上増加」が、プロサーファに収益をもたらすらしいのだ。
1970年代前半、オアフ島の「サーフィンのメッカ」へ憧れと共に他の国からやってきたサーファー達が、地元のサーファー達よりも派手なパフォーマンスを示して、集まってくるカメラマンの視線を集めて、やがて雑誌の表紙を飾り、話題の的となっていった。そして、それが「プロ・サーファー」となっていったようだ。この「プロ」が成り立ってゆく過程がとても面白かった。
ともかく、大きな画面で見るサーフィンというのは、綺麗で、そして恐ろしい。真っ青な悪魔が命を翻弄している。さぞかし勇気の要るスポーツなのだろうとは思っていたけれど、この映画では、それがどれほどの勇気を必要とするのかがよく分かる。映画の中でも「あの酷い波の大会に俺が出て無くて良かった」なんていう回顧まであるから、綺麗ごとだけではなく、サーフィンを続ける覚悟まで感じられた。
そう、この映画の一つの注目点は、別な意味での「綺麗ごとばかりじゃない歴史」を取り上げていることらしい。それは、けれど、私には、日本の国技に起きている問題と似たもの、要するに「どこにでも起きる事」で、ある意味の必要悪」ではないか?とも感じた。
最後、インタビューを受けていた人達が海に出てサーフィンをする様子が映し出される。そして、彼らの30年前の映像がそれに重なる。「あー、本当に、この人だったんだ」と、そのスタイルが全く同じである事に感激する。やはり、ドラマを感じると、そのスポーツは益々面白くなる。つまるところ、今スポーツを観るという事は、自分の中で長いドラマを感じるための素材集めなのかもしれない。