2016-09-01

リップヴァンウィンクルの花嫁 このエントリーを含むはてなブックマーク 

2016年8月6日鑑賞

岩井監督が仕掛けた3時間の罠

多分、文学少女の気質を持ったまま、大人になってしまった人たちが、岩井俊二監督作品に引き込まれて行くんだろうなぁ~、と思う。
「花とアリス」
https://www.youtube.com/watch?v=yiRlvbsqo18

でもそうだったけど、美しい女性をより美しく、幻想的に映し取る。女優さんにしてみれば、岩井監督作品は一度は出演してみたい、妖しい魅力を放っているのではなかろうか?
本作は主役に、若手の注目株である黒木華、そして相手役はなんと、綾野剛なのだ。以前僕はこの二人の共演作「シャニダールの花」を鑑賞した。
https://www.youtube.com/watch?v=SCr-7zdKrr4

比較的シンプルなSF物というイメージのある作品だが、ガラスを透かして見るような透明感のある美しい映像が、大変印象に残っている。
その人気俳優二人が「岩井俊二ブランド」の作品に登場するのである。
いやがうえにも期待値は高まるではないか!

そこまで持ち上げておいて、意地悪オヤジである僕は、あえて本作の揚げ足をとるのである。
実は、脚本の意図がいまいちよくわからないのだ。

主人公の女性、皆川七海(黒木華)は、結婚式を控えている。
しかし、新婦である七海側の出席者は二人しか見つからない。おまけに両親は離婚しており、結納の席で新郎側には知られないよう、仮面夫婦として出席している。
そんな折、七海はネットで「代理出席サービス」があることを知る。結婚式の披露宴などで、親族を装って出席してくれる、というのである。
そのサービスを提供し、窓口となっているのが「安室」という男なのだ。
普段は便利屋と自称する素性の知れない、この男を演じるのが綾野剛だ。
まあ「安室」も本名であるかはわからない。仕事内容に応じて臨機応変に名前を変えている様子なのだ。
七海はそのサービスを利用した。それは七海の「うそ」と「弱み」をまんまと安室に提供してしまう形となった。
結婚したばかりの七海はホテルに誘い出され、浮気現場と誤解されるような罠にはまった。
その現場に、隠しカメラを仕込み回収する、怪しげな男こそ安室だったのだ。

やがて七海は、これらの巧妙な仕掛けにより、夫側から一方的に離婚を言い渡されてしまう。
住む家を追い出され、抱えきれるだけの荷物を持ち、どこへ帰っていいのかも分からない。街を彷徨う七海。
この時の彼女の哀れさ。その描写は見事である。
僕は青春時代に聴いたフォークシンガー、加川良さんの「鎮静剤」という歌詞を思い出していた。
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Drum/6260/shinainaru05.html

「悲しい女よりもっとあわれなのは、不幸な女です
(中略)
 寄る辺ない女より、もっと哀れなのは追われた女です」

この「石を投げつけられるように追われた」哀れな七海に、絶妙なタイミングで救いの手を差し伸べるのが、やはり安室なのである。
かれは七海に住むところとアルバイト先を提供する。
安室に紹介されて七海がたどり着いたのは、豪奢な中世のお城を思わせる大邸宅であった。
主人は旅行中であるという。
留守中にこの邸宅に住み込み、掃除や部屋の管理をしておいて欲しいというのである。
「バイト料は月100万円です。ではよろしく」と言い残し、安室は超高級車のベントレーに乗って帰ってしまう。
実はこの邸宅のメイドは、もう一人いる。
それが自称「女優」の里中真白。
この女もまた、安室の代理出席サービスで偽の親族を演じていたのだった……。

さて、安室が七海を離婚にまで陥れたのは、実はある「依頼主」の要望なのである。
その依頼主は「友達が欲しい」という。
依頼主はある病にかかり、余命いくばくもない。できるなら一緒に死んでくれる人物を探していたらしい……という事は、作品の終盤になって分かってくる。
では、七海という女性だけを、わざわざ手の込んだ仕掛けで離婚に追い込み、自分の元に引き寄せる、その「強烈な動機」が必要になってくるはずだ。

つまり「七海」でなければ「イヤだ」という、依頼人の強烈な「こだわり」と「ワガママ」さが、観客に提示されなければならない。
それには依頼主と安室が直接、間接的に接触をもち「七海」というターゲットを設定し、合意するシーンが必要だろう。
ところが本作にはそういったシーンがないのである。

僕が感じた違和感はここにある。

どうしても「七海」でなければならない理由はなにか?
もっとも、中盤過ぎ、邸宅の庭でホースでの水遊びに興じる里中さんと七海のシーンで、僕はトイレ休憩のため中座したので、そのシーンのあと、何かあったのかもしれない。
そうなのだ。本作は、上映時間なんと180分なのである。
超大作の上映時間に匹敵するのだ。
まるまる3時間も、観客を座席に釘付けにするだけの魅力が、本作にあるだろうか?
本作の中盤までは、七海を陥れるための数々の巧妙な仕掛けがなされている。僕はこれは、岩井監督が仕組んだ、とてつもないミステリーではないかと思った。
もしかすると、今まで登場した脇役、全てにいたるまで、精緻なパズルのように仕組まれていて、観客全員をペテンにかけているのではないか?
そして、ラストでの大ドンデン返しがあるのでは? と連想した。
というのも、以前、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「鑑定士と顔のない依頼人」という傑作を観たからである。
https://www.youtube.com/watch?v=6oeE9w_w6Ak

あのラストには唖然とした。いい意味で見事に観客全員をペテンにかけたのだ。

また、本作で描かれるのは、女性の「結婚」や「死」といった「女の一生」とでもいえるものだ。それを複数の女性を登場させ、役割分担して描いている。
それは以前劇場で鑑賞した、ギリシャの巨匠、アンゲロプロス監督の「エレニの旅」のような、女の一代記、年代記のようでもある。
https://www.youtube.com/watch?v=hRxc77-Cqxw

そうなると、当然のように長編にならざるをえないのか……。とふと僕はため息をついてしまうのだ。
本作においては岩井監督独自の美意識か、本編のストーリーとは、さして関係のない、プロモーションビデオ風のシーンも幾つか挿入されている。
それらは女優を確かに美しく、幻想的に撮ってはいる。
だがしかし、それだけに、3時間という物理的な時間を、もっと有効に使う手はなかったであろうか? という疑問も出てくる。
2時間分のドラマの内容を、3時間に引き延ばす事はできるだろう。
反対に6時間分の内容を、これ以上そぎ落とせないと「涙を飲んで」カットし、編集した結果「3時間」になってしまったのなら、それは大変濃密な3時間であるだろう。それなら僕も許せるのだ。
岩井監督は何を目指していたのだろう?
その意図が今もってわからない。
分からないから、気になって仕方がない。
この作品から離れられない。
岩井監督が仕掛けた罠に引っかかったのだ。
だから、もう一度この作品を見直すことになるのだろうか?
そのために観客の一人である僕は、また3時間もの間、拘束を強いられるのであろうか? 
その罠にはまることこそ、本作の最大のミステリーなのかもしれない。

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天見谷行人

ゲストブロガー

天見谷行人

“映画館は映画と観客がつくる一期一会の「ライブ会場だ!!」”