『名前のない少年、脚のない少女』より
僕もこの映画のようにいつかミスター・タンブリンマンがどこか知らない所へ連れ出してくれるような気がして、歌を聞いてただ待っていた。
── みうらじゅん(イラストレーターなど)
この土地のめちゃくちゃに育った植物は美しい。そして、主人公の母親はこの育ちすぎる植物が人になった姿かもしれない、と思えるほどに土地に強力に住んでいる。この勢いに比べると、主人公の少年は貝割れ大根の芽ほどに弱々しい。土地というのは少年とっては残酷な存在だ。少年が詩を発信するインターネットの世界には地面がない。すぐ近く、地続きの所にいたはずの「足のない少女」は死んでしまって、地面のない世界の映像のなかにしか居ない。このままでは貝割れは育たないかもしれない。
いたたまれない気持ちで映画の世界を抜け出して「足のない少女」の発信する写真のサイトを訪れてみると、そこにあったのは映画の中の植物と同じように逞しく、地に足着いた「足のない少女」の姿です。いたたまれない気持ちがモニターの前で宙ぶらりんになりました。
── 伊藤存(美術作家)
夜の暗闇が印象的だ。闇がキチンと闇なのである。ブラジルの街のせいなのか、この映画の持つ特性なのか。多分両方なんだろう。
うっかりしてると闇に飲み込まれそうで、でもそれがわたしたちの住む世界の現実でもある。
そんな危うさが美しい映像のなかに見え隠れしながら、イマジネーションを刺激される作品だ。
── 川内倫子(写真家)
村、閉鎖感、ちょい厨ニ病な男子、そして重い、おっもォーい時間の流れ。自らの写真やビデオをアップしてネットに紡いでいた少女の抜け殻に、少年はのめり込んで行くのだが...過去/現在/リアル/虚構が容赦無くネット上でフュージョンして、多感な彼に襲いかかってく。こんなネットワークな青春、アリなんだろうね。
── Sputniko!(アーティスト/ミュージシャン)
寓話のようでいて異常に血が通っている。
これほど熱感と厚みのある映像を観たのは久しぶり。少年少女の美しさのあまりの奥行きに、スクリーンを夢中で見つめていた。
物憂くも必死に何かを掴もうとする彼ら。対若者に冷めた描き方が多いなか、この映画はまるで違う。
危うきを包みこむ強烈な愛情で貫かれている。そこが好きだ。
── 山田麻衣子(女優)
『名前のない少年、脚のない少女』より
この『名前のない少年、脚のない少女』のストーリーのうえで重要や役目を果たすのが、ボブ・ディランの名曲「ミスター・タンブリンマン」だ。近頃、今作のフランスでのタイトルがその歌詞の一節『Play A Song For Me』と発表されたが、1965年に発表されたこの曲の歌詞は抽象性が高く、これまで様々な解釈がなされてきた。正しく聴き手をトリップに誘うこの曲とともに語られるのは、ブラジルのドイツ移民の街を舞台にしたティーンエイジャーたちの暮らしだ。退屈な日常をどうにかしたいという鬱屈した雰囲気を解放してくれるのは、彼らにとって音楽であり、そしてインターネットである。ネットでのコミュニケーションが当たり前となった現在、人と人との生のつながりをどのように捉えたらいいのか。少年と母親、死んだ少女と少年、少女と愛する彼女先立たれた男といった1対1の関係の積み重ねにより、エズミール・フィーリョ監督は問いかける。
『名前のない少年、脚のない少女』より
▼『名前のない少年、脚のない少女』予告編
映画『名前のない少年、脚のない少女』
2011年3月26日(土)より渋谷シアター・イメージフォーラムほか
全国順次公開
監督・脚本:エズミール・フィーリョ
プロデューサー:サラ・シルヴェイラ、マリア・イオネスク
脚本・出演:イズマエル・カネッペレ
撮影監督:マウロ・ピニェイロJr.
音楽:ネロ・ヨハン
キャスト:エンリケ・ラレー、イズマエル・カネッペレ、トゥアネ・エジェルス、サムエル・ヘジナット、アウレア・バチスタ
ブラジル・フランス/ポルトガル語・ドイツ語/2009年/101分/35mm
配給:アップリンク
公式サイト
イベント情報
公開初日、ブラジルにいる監督とのQ&Aを開催!
地球の裏側のブラジルにいるエズミール・フィーリォ監督と12時間の時差を越えて、ネット中継によるQ&Aを行います。
2011年3月26日(土)12:50の回終了後(15分程度)
会場:渋谷シアター・イメージフォーラム
タイムテーブル 12:50/15:00/17:10/19:20
トゥアネ・エジェルス(ジングル・ジャングル)写真展
2011年3月27日(日)~4月10日(日)
会場:渋谷UPLINK GALLERY(アップリンクX、アップリンク・ファクトリー併設)
東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1F [地図を表示]
12:00~22:00
入場無料