トイレに座ってタバコをくゆらせているとふと思ったのだが
排泄というのも根源的にはクリエイトに他ならないんじゃないかな。
たとえ話にすると、レンガを積み上げてこつこつ家を作る人がいたとする。
一方、巨大な岩があり、それをこつこつくり抜いて、さあこれは家だ。という
人がいても前者は後者をそれは家ではないと笑うことは出来ない。
そんなことを思うと、仕事の後のタバコと排泄後のタバコのうまさに共通点を
見いだしてしまうし、クリエイトというものをことさら神聖視することも
ないと、自然に納得する。
つまり、クリエイトすることは誰にとっても当たり前のことで、
何かを作ったり、状態を変えていかないと、生きて行けないというだけのことだ。
だから才能ある人って気難しくて何かが欠如してる人がそれを
埋める為にがんばっちゃってびっくりするようなものを作ってしまう。
では、何かが欠如してるのにそれを埋めようとがんばらないというのも
あるのかな。そういうのは腐っていくようで怖いなと雨のふる土曜の
暗い部屋で思うよ。ふっ。