『the hiding-潜伏-』は、
シネマアートン下北沢で、
四週にわたり公開される。
上映にあたっては、
監督自らの立ち会いのもと、
最高の色、最高の音で観客に届けられるよう、
常に最大限の努力がなされるはずである。
しかし、いくら入念なチェックを繰り返したところで、
完璧を期すことは不可能だ。
なぜなら、
観客の入り具合や呼吸、
それぞれが発するテンションなどが介在することなしに、
真の意味での「上映」は成立しないからだ。
その日の気候、温度、湿度、そして個々の観客の抱える諸々。
あらゆる要素が上映に作用する。
よく映画は再現が可能であるが、演劇は一回性のものである、
そんな物言いを耳にする。
間違っている。
映画もまた、
それが劇場での上映という形をとる限り、
その場かぎり、
ただ一回きりのものなのだ。
かつて、福居ショウジンはこう言った。
「映画はライヴだ!」、と。
これはすなわち、
映画はそれ自体が一つの生命であり、
生き物であるということだ。
そしてその生き物は、
向き合う個々の観客に応じて表情を様々に変える。
あるものにとってこの作品は、
けばけばしくノイジーで、
耐えがたいものと映るかもしれない。
またある者にとって本作は、
かつて味わったことのない、
至高の映画体験を、
もたらすものとなるかも知れない。
『the hiding-潜伏-』は、それら全ての見方を許容する。
そして、
さらには同一の人間の中でさえ、
日によって相反する反応を、
この映画はもたらすかも知れない。
当然である。
全ての人間がそうであるように、
この映画も日々絶えず呼吸し、
新陳代謝を繰り返し、変化していくからだ。
そうした変化をこの作品にもたらすもの、
それは多くの観客の眼差しであり、
そして彼らの発する様々な反応である。
罵詈雑言、罵倒、批判さえもがこの映画を生まれ変わらせ、
変化させていく糧となる。
28日に及ぶ上映期間中、一度でも多く足を運んでいただきたい。
そして、思い思いに感じたことを、
口コミで、ネットの上で、思う存分まき散らしていただきたい。
それら全てを飲み込んで、
『the hiding-潜伏-』という怪物は肥え太り、
強靱になっていくだろう。
これはそういう映画なのである。