監督のグザヴィエ・ドランが24歳であることがよく取り沙汰されているんだけれども、正直、才能に年齢は関係無い。彼は本作で監督だけでなく脚本、編集、衣装までもを手掛けているが、そのどれもが突出しているし、それだけ1人で行っているため、作品に強い一貫性を感じる。
まず、ビジュアルセンスが秀逸。その映像の美しさはヌーヴェルヴァーグの作品群を彷彿とさせる。カメラワークの良さもあるが、フォーカシングの使い方もうまい。フレームの中心に語っている人物の顔を持ってくる構図が多く、しかも被写界深度の浅い映像で顔だけに視点がいくようにしているため、余計な情報を与えない。まるで絵コンテをそのまま映像にしたかのような印象である。
他にも奥行きをうまく使ったシーンがたくさんあって、狭い車内での恋人同士のやりとりで閉じた世界を表現していたり、とにかくカメラワークで多くを語っている。また、いわゆる伏線の描き方が非常に巧妙であるため、必要以上に言葉で説明するということもないし、それでいて次のストーリーへの誘導のバトンがスムーズに渡されて行く。
あれだけ巧く伏線を描けるのなら、もっと映画自体の長さも短くできるのではないかと思うのだが、それはまた別の話らしい。もし彼が編集を誰か他の人に任せていれば、この映画は168分なんていう長尺にはならなかったと思う。しかし実際観てみると、内容の面白さと映像のつくりの上手さで、そんなに長いようには感じない。
長くしている分、主人公の葛藤だけでなく、その恋人や母親の軋轢や苦悩までもきっちりと描けていて、ストーリーテラーとしても秀でていると思う。あそこまで描き込めるっていうのは、ドランがそれなりに本気で表現したいことがある人間だ、ということなんだと思う。
ポスターやフライヤーに使われている、イル・オ・ノワールのシーンはとにかく圧巻。流氷の空撮から、青空の中に舞う洋服をバックに歩く2人のシーンにスムーズに切り替わるのだが、その美的感覚に脱帽である。ここ最近観た映画の中では断トツで好きな、忘れられないシーンとして印象に残っている。この数分のシーンを観るだけでも、この映画にお金を払う価値はある。
音楽もクラッシックの交響曲からアップチューンの曲まで、うまく使いこなしているし、どれも非常に効果的に使われている。
ガス・ヴァンサントはドラン作品の全米公開のプロデューサーを務めているが、ガス・ヴァンサントの映画にもある映画全体を支配する透明感やLGBTをテーマに取り上げていることなど、共通点も多い。
ドランの才能に平伏! 長さに臆することなく、是非観て欲しい、究極のラブスト―リー。