アントン・コービンのポートフォリオのようなつもりで
この作品に臨むのは間違いだ。
これは、ひとりの人間の非常にパーソナルな部分をえぐった、
秀逸なドキュメンタリー。
聖職者である両親、
ひとりで静かに周囲を観察する幼少期、
コービンに対する両親の期待、
学校を中退して選んだ写真家への道、
「今、幸せ?」という母への問いかけ。
コービンはカメラの前でこう語る。
「僕はきっと人間として未熟なんだ。
そしてその理由は、“他人とのつながりの希薄さ”にあると思う」
コービンは繊細で、内向的で、本来は人付き合いも得意ではないのだろう。
であれば、『ラスト・ターゲット』でジャックが見せた
孤独と細心なまでの警戒心は理解できるし、
イアン・カーティスへの並々ならぬシンパシーも納得がいく。
監督のクラーチェ・クイラインズは、
犠牲者とともに生きるアフガニスタンの戦争犯罪者など、
これまで硬派で骨太なテーマのドキュメンタリーを撮り続けてきた映像作家。
決してオープンとはいえないコービンに、
カメラの前でここまで語らせた手腕と熱意に敬意を表する。
ただ、コービンのなかのどこかに「語りたい」自分があったのも事実だろう。
(「でも、やっぱ話すんじゃなかった……」と後悔してる可能性も大。)
いずれにせよ、映画を観た後にはコービンによるポートレイト作品の数々を、
より興味深く鑑賞できるのは間違いない。
……それにしても、ボノ(U2)はとても口がうまい。
コービンのポートレイトを評して、
「アントンは、モデルを通して自分自身を撮ってるんだ」
とか、
「僕は、アントンの写真に写る自分になりたい」
とか……。もう準主役。
さすが詩人であり、世界の名立たる政治家と渡り合う慈善活動家。
たいしたもんです。