“杉原千畝”の名を知ったのは、確か日本でスティーヴン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』が公開された時だったと思います。新聞で“日本のシンドラー”と大々的に紹介されていました。当時大学生で、かつて多くのユダヤ人をナチスの魔の手から救った日本人と知り、「へぇ~そんな人がいたんだぁ」と大いに感銘を受けたものでしたが、それからしばらくして、まさか自分がその杉原千畝がユダヤ人にヴィザを発給し続けたという、リトアニアの日本領事館跡を訪れることになるとは思いませんでした。
やはり10何年か前にバルト三国を訪ねた時の話です。
思えばポーランドでかの悪名高き“アウシュビッツ収容所”を見学した後でのリトアニア、そして領事館跡探訪でしたから、ある意味、当時のユダヤ人たちと同じようなルートをたどっていたことになります。現在のリトアニアの首都はヴィリニュスですが、かつてはカウナスだったので領事館もカウナスにあり、ボクもワルシャワから夜行バスでヴィリニュスより先にカウナスを訪れました。バルト三国の旅は首都だけをめぐる簡素なものでしたが、日本人としてカウナスだけは行っておかねばならないと思ったのです。
でも、ガイドブックに書いてあった通り、ボクが現地を訪れた2000年当時は、この建物がその昔杉原千畝が勤めていた領事館ですよ、という説明が書かれたプレートが1枚かかっているだけで、そこによくある旧所名跡を仰々しくアピールするような雰囲気というものは微塵もありませんでした。また、その後日本とリトアニアの友好を記念して命名される“スギハラ通り”もその時はまだありませんでした。だけど、そんな何をも誇張しないひっそりとした雰囲気こそ、今思えば杉原千畝っぽかったような気がします。
ただ、今回この『杉原千畝の決断』という映画を上映するにあたっていろいろと杉原千畝について調べてゆく内に、氏の外交官としての名誉が公式に回復したのが2000年10月10日だったと知って軽く武者震いしました。ボクが領事館跡を訪ねたのが、奇しくも同じ2000年の10月11日だったからです。もちろん当時、そんなことは何も知らずにいたんですけど、今になるとやはり奇妙な“縁”を感じずにはいられません。
まぁ1日ズレているというのが半端といえば半端なんですが、そんなしだいで、とにかくノーザンライツでバルト三国を取り上げるのなら、なにがしか杉原千畝関連の映画はやりたい、というのが個人的な想いでした。この映画は、日本では2008年の「UNHCR難民映画祭」で上映されたことがあるだけの大変貴重な作品です。
一般的に杉原千畝というと、“ユダヤ人をナチスから救った正義の外交官”といういわゆるヒューマニズム的観点からその人となりを語られることが多いですが、この日米合作のドキュメンタリー映画は少しアプローチが違い、激動の20世紀前半史という大いなる歴史的俯瞰から杉原千畝の人物像に少しずつ的を絞ってゆきます。
日露戦争から始まる日本とユダヤの切っても切れない関係や、杉原がいかにソ連から怖れられるほどの外交手腕を持つ“諜報の天才”であったかや、いわゆる“命のヴィザ”発給が、いかに杉原をはじめ多くの人の良心が重なり合った“運命的結果”だったかについてなど、映画は、多くの歴史学者や、実際に命のヴィザで救われたいわゆる“スギハラ・サバイバル”と呼ばれる人々の言葉や貴重な資料映像を駆使して紐解いてゆきます。とくにヴィザ発給の件(くだり)はまるで歴史物のサスペンスを観るかのようにスリリングです。なぜ当時の日本はドイツと同盟を結んでいたにもかかわらずユダヤ人排斥に傾かなかったのか、その理由をこの映画を観て初めて理解しました。
本作は、そんな具合に歴史ドキュメンタリーとして優れているからこそ、杉原千畝の人としての魅力を存分に伝える珠玉の人物ドキュメンタリーにもなっています(決して大仰な偉人伝になっていないところがミソ)。ヒューマニズム的美談からではなく、当時の歴史を理解してこそ初めて本当の杉原千畝像が浮かび上がってくるのです。戦後、外務省を解雇された杉原は不遇の人生を送りますが、彼はそれに対し不平不満を漏らすことも、またヴィザの件について口にすることもなかったそうです。ただ己の良心にしたがって実直に生きた1人の人間の物静かな姿に、胸が熱くなります…。
2月10日(日)の上映後には、杉原千畝を20年にわたってご研究されている、「諜報の天才 杉原千畝」(新潮社)の著者、外務省外交史料館の白石仁章(まさあき)氏をお招きしてトークショーも行います。本作のポイントについて専門家の見地より解説していただくほか、昨今の研究から新たに明らかとなった事実についてもお話しいただく予定です。少々堅めの映画ではありますけど、ぜひ、他の北欧映画と一緒にご鑑賞ください。
「トーキョー ノーザンライツ フェスティバル 2013」 http://www.tnlf.jp/
『杉原千畝の決断』
原題:Sugihara:Conspiracy of Kindness
英題:Sugihara:Conspiracy of Kindness
監督:ロバート・カーク(Robert Kirk)
1999年・アメリカ=日本/英語(English)/103min
【ストーリー】
第二次大戦中の1940年、再三におよぶ外務省からの訓令遵守の命令に背き、ナチスの迫害からリトアニアのカウナスに逃れてきた多くのユダヤ人難民に大量のビザを発給して、約6千人の命を救った外交官・杉原千畝(1900-1986)。豊富な資料による検証、そして実際に杉原ビザに救われたユダヤ人や、歴史学者、遺族の証言から、“命のビザ”の真相と、人道主義を貫いた彼の実像に迫る。