一日が、ひと月が、一年が、怒涛のごとく過ぎて行くように感じるこの頃。そして、ふとした時に、自分の命の限りを知る事になったとしたら、どんなことを自分はするのだろうか、などと考えることもあるのではないでしょうか。
この映画の予告を見た時に、音楽家として、ひとりの男として、最後の8日間を、主人公ナセル・アリは、どう過ごすのか、何を考えるのか、そこに興味津々でした。が...期待は裏切られ、人生とは?などと哲学的なことが描かれているのではないということを、現実と非現実がうまくブレンドされ、美しくもどこかアンバランスで滑稽なオープニングの風景を見て悟り、意識は、一瞬で違うところへ向いてしまったのでした。
描かれるのは、懐かしいような、遠い記憶の中のようでもあるような、かつ、どこにもないようにも感じられる世界。暗くも暖かいトーンの色合い、ひとつひとつのシーンに散りばめられた物、景色、光、表情、どの瞬間も、もっと見ていたいと言う気持とは裏腹に、どんどんストーリーは過ぎて行きます。死ぬ事を決めてから、1日が過ぎる度に、主人公ナセルの命の長さと、この映画を見ていられる時間とがシンクロし始めて、もっと長く...と切に願うような気持になったのは僕だけでしょうか。とうとう、最後の日になった時、それまでの時間経過のスピード感覚は、突然加速し始めます。考える余地のあった時間の流れは、どんどん加速して考えることは出来なくなり、ただ感じることで一杯になります。ナセルの美しいバイオリンの音の理由は、ここに明かされますが、予想通りで、奇想天外な答えがある訳ではありません。が、解っていてもこのシーンでの、主人公、妻、昔の恋人、それぞれから次々と押し寄せる感情の波に、胸は否応なく切なく加速し、目頭が熱くなるのでした。それまでの7日間の出来事、そしてユーモアを交えた、時に唖然とするような(?)シーンも、この加速された時間へのプロローグと言えるかもしれません。
僕自身は、叶わぬ恋を忘れ得なかった主人公ナセルの心情よりも、愛する人と結婚、子供を持つ幸せを手に入れたにも関わらず、最後まで愛する夫の心を傍に感じることが出来なかった妻の切なさ、悲しさに心が寄り添い痛むのでした。チキンのプラム煮の時間だけが、唯一の幸せだなんて...。
そう、この妻役のマリア・デ・メロスさんの表情が素晴らしかった。今度見る時には、また新たな発見があることでしょう。