ずしんと胃の中が重くなった。
暴力を受容しない、暴力への反発が猛烈に湧き出てくる。
同時に男の本性に怒りと暴力があり、男というものを恐れるに足る内容である。
暴力というものが、人間をどこまで恐怖に陥れるものか。
リーズの町を舞台に、日常生活で起こる暴力が描かれる。現実でもありえる欲求不満に起因する瑣末事かもしれない。ひとつひとつは警察沙汰にもならないかもしれない。
やり場のない思いを暴力で発散する失業者がいる。
妻への愛を歪んだ形でしか伝えられないDV夫がいる。
1人では行動できず、複数でつるんでしか喧嘩できない男どもがいる。犬を使って脅すことしかできない男どもがいる。
夫からティラノザウルスと揶揄される妻がいる。
夫から放尿という侮辱を受けざるを得ない妻がいる。
暴力が積み重なり、生きていることがどうしようもなく辛く思える現実があり、そんな中で男は救いを求める。
女は祈る。暴力を受けても屈辱を嘆き、祈るのみ。
そんな日常がひとつの誤解から、予期しない展開になり、鬱屈した日常が狂ってしまう。いや、誰でもその場にいれば、こういう事件に発展する素地は十分にあったのだ。今までの暴力を見逃してきたことが問題なのだ。
虐げられた魂がふれあい、救いが見つかることもあり、人生って捨てたものではないと思わせる。
ここにあるものは痛快なエンディングではなく、ひとすじの救いの光だ。虐待される側の女性が救いになるものなのか。子供を持たない女にも母親の慈愛を感じた。
主役は暴力男(ピーター・ミュラン)であり、彼の魂救済ストーリーかと思っていたら、虐げられた女性(オリヴィア・コールマン)だった。実寸大の演技は共感を得るに十分。
予想もつかないプロットがすばらしい。
パディ・コンシダイン監督はこの映画で救われたのか、とても気になる。