2012-08-31

『ライク・サムワン・イン・ラブ』クロスレビュー:様々な視点 このエントリーを含むはてなブックマーク 

キアロスタミ監督の映画は、『本来の人の姿、人のとらえ難さ』に忠実だと思う。
この映画の中ではそれが明子に集約されていた。
孫の顔、彼女の顔、娼婦の顔、学生の顔を持つ彼女。
そんな明子を、ノリアキは亡妻に、タカシは自分だけの婚約者に、
それぞれ一方的に、自分の望む姿に見立てる。

嘘の答えが返ってくると思ったら最初から質問はしないというタカシと
テストの結果がひどいと想像できるから答えは知りたくないと言う明子。
この考えは、人生経験がもたらした達観かもしれないし、同時に退廃的でもある。
対して、自分にとって不都合な真実を前に、望みが失われるほどに執着するノリアキ。

偶然とノリアキの勘違いによってもたらされる先の読めない展開が面白かった。
最後、窓を割った石は、形(世代)の違う愛の衝突であり、
現実と虚構の境界を越え、スクリーンのこちら側に飛び込んでくるようではっとした。

また、タカシの隣の家に住んでいたおばちゃんが強烈に印象に残った。
溝口健二や小津安二郎などの日本映画のワンシーンを思い出したけど、
どんな映画だったろう。

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potzkun

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“映画、イラスト、アート、グラフィック、文字好き。”


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