1971年の3月のある日。モハメド・アリとジョー・フレージャーが戦った世界ヘビー級タイトルマッチをテレビで見ていたとき、フレージャーが圧勝する姿に、「これ以上強いチャンピオンは現れないだろう」と思った。しかし、未熟で稚拙な知識しかなかったボクシング・ファンの私の予想など鼻先であざ笑うかのように、ケン・ノートンが現れ、ジョージ・フォアマンが華々しく登場。そして、あの伝説の「キンシャサの奇跡」で、再びモハメド・アリが復活をとげた場面を見たとき、私は言いようのない感動をおぼえた。確かにその瞬間、ヘビー級ボクシング界は、遠い日本のファンさえも熱狂させるくらい、最も幸せな時代を迎えていた。
この作品は、「一番強い者は誰だ?」とスポーツ好き、ボクシング好きをいつも喧々諤々の論争に巻き込んでくれた、モハメド・アリと戦ったヘビー級ボクサーたちに直接インタビューをして、あの最もヘビー級ボクシング界が充実していた時代を再び呼び覚ますこと。さらに、本当はモハメド・アリをどのように思っていたのかを証言している、あの時代を知っている者にはたまらない内容のドキュメンタリーだ。アリの試合での印象を、狡猾で戦略家、と言わんばかりに話す(実際に、アリは強いからチャンピオンになれたのではない。いつも戦略を駆使して相手に立ち向かう頭のいいボクサーだったからこそ、チャンピオンの座にいられた)のも面白かったが、何より私が見入ってしまったのは、インタビューに答えたボクサーたちが、試合を思い出してカメラにむかってシャドー・ボクシングをする場面だ。皆、カメラのレンズをギラッと睨みながら素早いストレートパンチやフックを見せる。過去の対戦のフィルム映像よりも、あの頃を知っている多くのボクシング・ファンは、衰えたとはいえパンチを繰り出す今の猛々しい姿に、あの幸せな時代を思い出させてくれたのではないかと思う。いつまでも、頂点に立とうとしていたあの時代を誇りに思う、ボクサー自身も今は幸せに感じていることに、見ている私も嬉しくなってくる場面だった。
しかし、見ている私たちは幸せと言った、アリと対戦した時代は、黒人ボクサーにとっては貧困や差別とも戦わなければならない。ある意味、一番辛い時代だったことを、ボクサーのほとんどが証言している。その後に、皆がモハメド・アリを尊敬すべき存在と称え、そして親しみを込めて友と呼ぶ。それはアリと対戦することで、貧困や差別から抜け出せたことから、アリが黒人社会を大きく変革してくれたからだ。そこに、この作品の大きな意味がある。
それは、ようやくアメリカの黒人差別が解消されてきて、社会の中に溶け込みだしている今、若い人達にアリとボクサーたちがどれほど辛い差別社会に生きてきたのかを伝えることも、この作品は素晴らしい役割をはたしている。そう、日本人もアリという存在を忘れてはならないのだ。このグローバル社会に生きる我々にとって、アリはそれに到達させてくれた歴史そのものなのだから。