2012-04-06

【『誰も知らない基地のこと』クロスレビュー】:世界はそれでも変わりはしない、のか このエントリーを含むはてなブックマーク 

ドキュメンタリーは客観的事実を伝えているわけではない。
案外、この単純なことを私たちは忘れがちだ。
「事実」は一つなんでしょ? ドキュメンタリーは「真実」を伝えるものじゃないの?
そう、その問いかけは作品と対峙する私たちが無意識に”こたえ”を欲しているからだろう。

森達也(ドキュメンタリー映画作家)は著書『ドキュメンタリーは嘘をつく』(草思社)で語った。撮る側の主観である、と。中立というものはないのだ、と。

私たちはその作品をたたき台としてそれぞれが自らの意見を考えをどうするのかを問われる(問わずにいられなくなる)のが本来のドキュメンタリーとしてあるべき作品像なのだろう。

さて、今回のこの作品は、Standing Army、つまりは世界中に広がるアメリカ軍事基地(以下、基地と略す)とそれが在る地域のドキュメンタリーである。
なぜ、基地は世界にここまで拡大したのかということを丁寧に証言などを交え描いていく。
地域もコソボの基地、インド洋にあるディエゴ・ガルシア島、イタリアのビチェンツァ、日本の沖縄とばらける。

きっと、見なくてもこういう映画の内容なんだろう? と思われてしまう作品なのだろう。
そういう意味で少し損をしているのだと思う。

基地の広報官も、沖縄の反戦地主会の方も同じことを述べていたのがとても印象に残っている。
”子どもたちのために平和な地域にしたい”

同じ思いなのに、どうして他方では基地を増やし、他方では基地に反対をするのか。
きっと、”こたえ”は出ないのだろう。

とはいえ、そこであきらめてしまうのはなんだか違うような気がしている。
その「あきらめ」の先に、人々の思いの先に何かがあるのではないだろうか。
希望や祈りはまやかしだ、とシニカルに語る人はいる。
しかし、まぎれもないこのやりきれない現実に立ち向かい、何かを変えることができると思わせるのは希望や祈りといった、一見するとひ弱で頼りないものなのかもしれない。

大きな声で主張するだけではない、小さな声でも確かな声がここにある。

キーワード:


コメント(0)


ひろ

ゲストブロガー

ひろ

“mixiでレビューの公開をしてます。よろしかったら、見てやってください。”