2011-12-10

【『瞳は静かに』クロスレビュー】:見てないようで見てる このエントリーを含むはてなブックマーク 

子どもはいずれ大人になる。そして、大人は昔は子どもだった。
当たり前のことではあるけれども、案外私たちはそのことを思いのほかたやすく忘れてしまう。
子どもが純真無垢だ、なんてことはおそらく誰もが信じていないだろう。あの「恐るべき子どもたち」や「悪童日記」をひくまでもなく、自分を振り返ればわかることであるし、日々子どもと接している人ならば否定はできないだろう。良いとか悪いというわけではない事だけれども。(とはいえ、1年365日のうち、10日くらいはその純真さに心を打たれるのもまた事実ではある)

さて。この「瞳は静かに」は、その子どもが主人公である。
アンドレスの登場と結末の対比は見事である。彼が冒頭で何をしたかを思い出してみるとよい。そして、ラストシーン。
そう、よかれと思ってこと周囲の”おとなたち”がしたことがはたして本当によかったのかと、私たちに問いかけられるのである。
もちろん、”おとなたち”でさえよくわかっていないことだってある。一概に責められるべきではないのかもしれない。しかし。
心配しているはずなのに、実は自分を守るだけだったという、その欺瞞。それをタイトルのように「瞳は静かに」見てないようで見ているのだ。

子どもは子ども扱いされることを望んでいるのだろうか。いずれ大人になる子どもはいつ大人になる準備をするのだろうか。
ココロは柔らかいだけにどんな形にも変えることができる。時には凶器にもなりうるのだろう。

母親とこっそりと歌って、兄と笑いあえたこと。大きくなって、残るのはそういった何かを共有することなのだろう。
この物語がとてもリアルな部分があるのは、私たちは共有しているのか。同じものを見つめているのだろうか。同じ方向を向いているだろうか。簡単に答えの出ないことを延々と思わされるからだ。
地味な映画だといえばそれまでである。しかし、この地味な映画でしか伝えることしかできないことがある。その映画の力を感じてほしい。

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ひろ

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ひろ

“mixiでレビューの公開をしてます。よろしかったら、見てやってください。”