『核の傷:肥田舜太郎医師と内部被曝』を観た。観ている内に無性に腹が立ってきた。広島原爆の生き証人である当時軍医であった肥田医師により淡々と暴かれて行く原爆にまつわる歴史の真実。毎年の原爆記念の日に、どうしてあんな朝に原爆が投下されたのかと疑問に思っていたが、それはより大きな被害を狙って住民が最も家から出ている時間帯を米軍が入念な調査から割り出したものであったという事実。マスコミや学校教育により「日本が仕掛けた戦争を早期に終結させるために米国がやむを得ず原爆を使用した」「終戦後米国はいち早くABCCを設置し被爆者の治療に乗り出した」と理解させられていたが、その実は全く治療には当たらず専ら原爆の威力と放射能が身体に与える影響の調査に終始したものであったとの証言。しかも、その後の冷戦時代における核兵器開発競争に対する米国民の慎重論を抑えるために放射能の身体に与える影響は故意に過少評価したものが公表され、それが現在も唯一の人体実験で得られた貴重な資料として世界基準になっている現実。さらにはその世界基準が福島原発事故による内部被曝者の安全基準にも適用されるであろうこと。結局何に腹が立ったのか考えてみると事実を知らされなかった、知らなかった、知ろうとしなかった自分自身に対してであることに気付く。その意味からこの映画における肥田医師の証言は観た者に歴史における情報操作の怖ろしさとそれに立ち向かう個々人の姿勢を問う貴重なテキストであり後世に残すべき文化遺産であると言える。