2011-11-02

ジェノサイドの痛みのリアリティ——映画『バビロンの陽光』—— このエントリーを含むはてなブックマーク 

 10月後半は自宅に籠って添削の内職をしていました。一人自宅で好きな時間に出来、自分の研究者としての能力も多少役立たない訳ではない仕事である一方で、いろんな意味で結構シンドイです。とは言え、今回は僕の方にも得るものがありました。と言うのも添削をしていく中で、テキストを読み込んで内容に即したコメントするというのはどういうことか、漠然と感覚的にですが掴めてきたからです。これは他の人の研究報告にコメントする際だけでなく、自分で論文を書く際にも役立つはずです。なぜなら、基本的には文献研究を旨とする僕のようなタイプの研究者の場合、テキストをどう読むか、そこから何を読み取るかがとても重要だからです。勿論論文を書くためには多くのテキストを読み込んでいかなければならないし、外国語で書かれたものもあります。それに内容的にも錯綜しています。ですから、今回添削を通して掴めた感覚が、そのまま活用出来るという訳ではありません。でも、ちょっとした糸口にはなるんじゃないかなと思っています。

 先週木曜日のお昼、気分転換に行きつけの下高井戸シネマに映画を観に行きました。観たのは、『バビロンの陽光』(原題“Son of Babylon”、監督・脚本・撮影:モハメド・アルダラジー、イラク・英国・フランス・オランダ・パレスチナ・アラブ首長国連邦・エジプト、2010年)。

 日本語公式サイトは↓。
 http://www.babylon-movie.com/index.html

 2003年の米英のイラク侵攻によりフセイン政権が倒されて3週間後、イラク北部のクルド地域の砂漠を走る一本道を、孫のアーメッドを連れて南へと向かうクルド人の老婆。彼女は湾岸戦争にイラク軍兵士として駆り出されてから行方不明になった息子イブラヒムが、イラク南部のナシリアの刑務所に収監されているという知らせを受けて、戦火の傷跡生々しいイラクを、ヒッチハイクとバスで南下する。

 苦労の末辿り着いたナシリアの刑務所は破壊されており、収監者リストにもイブラヒムの名前はない。次々と訪れる収監者の家族の対応に追われる担当者から、集団墓地が見つかったからそこに行くよう告げられる。

 イブラヒムとの再会を心の支えにしていた二人は、今度は彼の遺体を探して、次々と発見される集団墓地——作中ではこう表現されていたが、実態は白骨化した大量の遺体が発掘され続ける砂漠の一角——を回ることになるが、遺体を見つけることは出来ない。どの集団墓地でも周囲は、夫ないし息子の遺体を見つけて悲しみの叫び声を挙げる、黒いチャドル姿のシーア派の女性達で埋め尽くされている。

 集団墓地を巡る中でクルド語を解する親切な中年アラブ人男性と出会う。彼は二人を何くれとなくサポートしてくれる。しかし彼がクルド語が出来るのは、実は1988年のアンファル作戦(フセイン政権が行ったクルド人村落の壊滅作戦。18万人以上が死亡・行方不明になったとされる)に、共和国軍兵士として従軍したからだった。同作戦で家族を失った祖母は、それを知らされた瞬間から彼を激しく詰り、自分達の前から即刻姿を消すよう言い渡すが、男性はその後も懸命に二人をサポートし続ける。最終的には祖母は彼と別れる際に、これまでの親切への謝意と共に、彼を許すことを伝える。

 失望と悲嘆で精魂尽き果てた祖母は息子の幻影を見た後、バビロンのトラックの荷台で息絶える。遺体に取りすがりながら、僕を一人にしないでと泣きながら叫ぶアーメッド。

 祖母役の女性は実際に政治的理由で5年も収監され、その間に夫と子どもを失ったという。また路上で絞首刑にされて無造作に埋められてしまった兄の遺体を一年かけて探し出し、埋葬し直したこともあり、現在も(20年前から!)彼女の収監中に逮捕された夫を探し続けている。従って、自身の苦痛の記憶を想起させることになるこの映画への出演は、彼女自身にとって大変なストレスでもあった。

 この映画のコンテクストになっているのは、サダム・フセインがイラクの治安・情報機関のトップの座に着いた1960年代末以来、150万人以上の人々が行方不明になり、フセイン政権崩壊後、300の集団墓地から何十万体もの遺体が見つかっているという事態である。

 アルダラジー監督は本作完成後、集団墓地の遺体の身元確認を促進するため、「イラク・ミッシング・キャンペーン」を発足させたそう。

 http://www.babylon-movie.com/interview.html

 http://www.iraqsmissing.org/

 あまりの惨たらしさに恐怖と怒りを覚えるとは言え、僕自身も含めた第三者にとっては、ジェノサイド(集団虐殺)の犠牲者は、所詮圧倒的な数字でしかない。そういう人間に、一人一人の犠牲者の死にその遺族が感じる痛みのリアリティを感得させてくれる作品だった。

 最後に最近いいなと思った漫画の一節を。「人生には良い時もあれば悪い時もある。良い時は驕らず悪い時にも卑下せず、努力してその時その時を明るく暮らすせばいい」(山本おさむ『そばもん——ニッポン蕎麦行脚——』、『ビックコミック』2011年11月10日号、73-4頁。一部表現を改変)。気落ちした時、希望を失いかけた時、これを呟いて背筋を伸ばすようにしています。

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知世(Chise)

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