2010-11-16

『バスキアのすべて』クロスレビュー:アートとNYのすべてを生きた人 このエントリーを含むはてなブックマーク 

「バスキアのすべて」は、軽快な“Salt Peanut”とともに始まった。
自由奔放なサウンドが彼の作品・生き方をあらわしているように感じられた。

冒頭は監督を務めたタムラ・ディビスによる彼へのインタビュー。80年代のNY、もっと言えば世界のアートシーンに旋風を起こしたジャン=ミシェル・バスキアは、一見等身大の20代の青年である。2年間でストリート生活からセレブ生活へ成り上がったということを除いては。

彼は、いわゆる正規の美術教育を受けていない異端児であり、さらに絵画における稀代の黒人アーティストである。彼の絵を「落書き」という人もいれば、「天才」と評する人もいる。本作を通じて、確かに彼は天才であることに間違いはないのだが、単に括弧つきの天才と片づけきれない何かを持っていることに気づかされた。

作中にも出てくるが、彼の絵は自由なようでいて、巨匠の改作(コピーではない)があったり、現代美術の潮流を彼なりの解釈で汲んでいたり、またはそれに対する反駁を表現する。つまり、奇を衒った奔放さだけでなく、作品そして彼自身がまさにアートの転換点を意味しているのだ。

さらに、彼の生活には、当時のNYが殆どすべて詰まっているような気がしてならない。お金がないのでストリートに落ちているものに絵を描く。all that JAZZ!!な雰囲気で、楽器も弾けないのにバンドを組んで、それでもライブに人は集まる。名乗りを上げればそれになれる。アンディー・ウォーホールと出会ってからの、“洗練された”(=排他的な)セレブ暮らし。そして人種差別。

「バスキアのすべて」とは彼個人のユニークな人生のすべてであり、アートのすべてであり、NYのすべてである。

様々なものが集約された彼の作品を、解釈することは決して易しいことではない。彼のメッセージはつまるところ、事態は複雑である、ということであり、それを理解しようとする行為こそがアートであり人生だということかもしれない。そしてその通りに生きた彼。
同じ時代を生きられなかったことを悔やむと同時に、今なお新しく、警鐘を鳴らす役割を担える彼の作品を、実際にじっくりと観てみたいものである。

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