2010-11-01

タランティーノ『ジャッキー・ブラウン』を観て──アメリカの「坊っちゃん」 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 タランティーノ『ジャッキー・ブラウン』を見て、ロバート・デ・ニーロ演ずる冴えない男、ルイスの中に「坊っちゃん」を見た。
 また同じタランティーノの『パルプ・フィクション』の主人公格、ヴィンセント・ベガ(ジョン・トラボルタ)もやはりアメリカの「坊っちゃん」だ、と思う。 純真で正直者、直情怪行、けして頭はよくないが自分が正しいと信じていることに基づいて行動し、生きている。

 むろん坊っちゃんは負ける運命にある。
 明治期日本の「坊っちゃん」は敗れ、アメリカの「坊っちゃん」は殺される。

 「坊っちゃん」が敗れ、また殺される運命にあったとしても、しかし、彼が立派な人間であるということは1ミリも動かない。

 ──思想かぶれ、世間かぶれ、文学かぶれはすぐに諦めるけれど、俺は、今の日本に「坊っちゃん」を呼び戻し、彼に適切な位置を占めさせることを、可能だ、と考える。

(※『ジャッキー・ブラウン』のルイスについて。オデール(サミュエル・L・ジャクソン)によれば彼(ルイス)は「昔はあんなに切れ者」だったらしいので、正確な物言いではない。パイプで麻薬を吸い、「銀行強盗」をしたデ・ニーロは『ワンス・アポン・ア・タイム』の主人公が幾分かは混じっている。落ちぶれたヌードルス。)

キーワード:

Criticism / Movie / Thought / ContemporaryJapan / Literature


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坪井野球

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坪井野球

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