2003年初頭ニューヨーク、飽きることなく繰り返されるデモ、デモ、デモ。ある時は40万人がイラク戦争反対のデモに参加し、観光名所のブロードウェイはデモ隊で埋め尽くされた。東海岸全土でも同様のデモが繰り返されもした。ニューヨーカー達は、「9:11は我々の個人的な問題、政府が介入するのは間違っているし、戦争で解決出来るとも思えない」と、声高に叫んだ。見た目には、ほとんどの人間が反対しているようで、イラク戦争案は可決される事は当然ないだろうと、ニューヨーカー達は信じていた。しかしそんな市民の声は届くはずもなく、「大量破壊兵器を保有している、危険極まりない国を放置しておけない」と保守派の米国人達を丸め込み、戦争に突き進んで行ってしまう。だが結局大量破壊兵器は発見されなかった。
2003年3月にアメリカ連合軍で始まったイラク侵攻は、後に米国民に羞恥と慙愧の念を与えた。次から次へと暴露されるスキャンダルも手伝い、誰もが望まない戦争に評価が落ちるまでには時間は掛からなかった。結局米国民にも多くの犠牲を強いたこの戦争の「始めた理由」という葬りたい事実を引きずり出し、白昼にさらす。「世界を巻き込んだ醜聞を米国民はもう忘れてしまったのか」この作品のメッセージはこのたった一つの疑問に他ならない。映画「グリーンゾーン」は、ジャーナリストであるラジャフ・チャンドラセカランの著書「インペリアル・ライフ・イン・ザ・エメラルド・シティ」が原作。「ボーン・スプレマシー」「ボーン・アルティメイタム」での名コンビ、マット・デイモン主演、ポール・グリーングラス監督のサスペンス・アクション作品。
ロイ・ミラー(マット・デイモン)は大量破壊兵器の調査部隊の隊長。来る日も来る日も危険を冒しながら、一箇所一箇所、大量破壊兵器が隠されている場所をしらみつぶしに探すが、一向にそれらしいブツは出てこない。熱いバグダットの街、水が無いと暴徒と化す人民達の間を縫って、みつかるはずもない大量破壊兵器を捜し求めるミラーの部隊。今なら滑稽にも思える姿だ。情報の信憑性を疑うしかない状況に追い込まれ、国防省の動きを不審に思ったミラーは、CIAのブラウンと共に独自の調査を開始する。ブラウンを訪ねて大統領官邸に行ってみれば、プールでビールを飲みながらはしゃぐジャーナリストや政府高官達がいた。違和感を拭えないミラーは、やがて疑惑にがんじがらめになっていく。戦争によって街は混迷を極め、無秩序な混沌に支配されて行く。一刻も早く事実を突き止めなくては。だが国家そのものがミラーに刃向かってくる。
ざらついた質感、手持ちカメラを駆使した、グリーングラス監督の18番の手ぶれ映像(撮影はなんと「ハート・ロッカー」のバリー・アクロイド)完璧に再現されたバグダッドの街並み、素晴らしい演技を見せるアラブ人俳優陣など、見所は多彩だ。だがついついジェイソン・ボーンのスーパーマン振りと、ロイ・ミラーの凡人振りを比べてしまい、展開にがっかりするかもしれない。またミラーに光を当てるために、あえてチームの隊員達の存在を薄くしたのか、彼らの顔が見えてこず、それが終盤の消化不良の元となってまう。史実上結末がわかっているから、サスペンス要素自体が弱く、はらはらしないところがなんとも物足りない。傑作を生み続けてきたグリーングラスの作品だけに、観客のハードルも高くなってしまうもの。
2007年といえ、ブッシュ政権時代にこの映画の製作を決め、大いなる恥を国民に思い起こさせる気概は大いに買う。「ハートロッカー」とは全く違う角度から、戦争を金儲けの場と化すため、米国民にウソを付いた前政権への怒りと、そしてイラク人の悲痛な叫びが聞こえる。イラク人の立場にたった言葉が漏れてきたのは、実は非常に稀ではないか。その意味では深い作品である。