2010-04-02

北米最下層の白人女性の現実を描く「フローズンリバー」 このエントリーを含むはてなブックマーク 

差別をする心は、自己防衛本能なのか。移民社会の米国、カナダでは、人種間の摩擦は毎日目のあたりする現実であり、軋轢は朝飲むコーヒーの苦味のようなもの。特に原住民居留区に隣接して住んでいるなら、なおさらだ。社会の最下層に沈殿して、身動きが取れない主人公は、無教養で、パキスタンがどこだかわからず、イスラム教徒であるだけで、テロリストだと決め付ける。夫は先住民だが、白人でない彼らに理解を示す事が出来ない。

クリスマスマ間近 カナダ国境の先住民居留区に隣接する町に住むレイ(メリッサ・レオ)は、トレイラーハウス拡張の資材購入の為に貯金していた金を、賭け事好きの夫に持ち逃げされてしまい、二人の息子との日々の食事にも事欠くほど困窮していた。そんな時先住民のライラ(ミスティ・アップハム)と出会う。ライラは密入国者の闇の運び屋で、凍った河を越えて国境を渡るたびに1200ドルの儲けを得る。安い時給のパートタイムでは埒が明かず、プラズマテレビの月賦とプレハブハウスの代金を工面する為、闇の運び屋に手を出す。初めは先住民がパートナーで、アジア人の不法移民を車のトランクに乗せる事に不快感を抱き、弾圧されてきた歴史を持つモホーク族のライラは白人のレイに嫌悪感を抱く。打ち解けないまま仕事を重ねる。そんな時レイは、夫に先立たれたライラが、義母に奪われた息子を引き取る為に危険な家業に手を出している事を知る。

初の長編作品でサンダンス映画祭、ドラマ部門・審査員大賞(グランプリ)を受賞したコートニー・ハント監督の徹底した現実主義。最北の田舎町にに住む労働者階級の一家は、低所得、低学歴、の象徴であるトレイラーハウスに住み、夫は失踪、そのせいで長男の学食代も払えない。米国にはよくある貧困の光景だ。扱っているテーマは重いが、たんたんと日常を切り取ってみせる。そこにはハリウッド的な大袈裟な仕掛けはなく、異常な格差社会と、歴然と存在しながら捨て置かれ、社会に黙認されているている差別へ怒りがあるのみだ。

「リアルな質感を出す為に、スーパーの安売りの化粧品で自ら化粧を施した」と言う、レイ役のメリッサ・レオは強烈な存在感で、画面を圧倒する。彼女の表情から、貧困から抜け出せない閉塞感を感じ取る事が出来る。「ハリウッドには有能な俳優が大勢いるが、主役をはれる役者は限られている。彼女はその一人だと思う」とハント監督が惚れ込んでの起用だ。メリッサ・レオはこの作品で、2008年度米アカデミー賞 最優秀主演女優賞にノミネートされた。

白く枯れた大地、分厚く凍った河に車を失踪させるレイとライラ。凍っている河を渡るのは危険だが、法を犯すのはもっと危ない。レイは初めは闇仕事に手を染める事を堅く拒否するが、目の前の現金の魅力につい、負けてしまう。無事、一度目の密入国を成功させたが、自治区である先住民居留区の出口には、パトロールカーに乗った警官が待機している。「大丈夫よ、あんたは白人なんだから」一度捕まったというライラ。子供に食べさせるものもなく、支払いに切迫したレイは何度も密入国に手を染める。3度目はイスラム教徒の装束を着た夫婦が“お客”だ。「何なのあいつら」「パキよ」「誰それ」「パキスタン人の事よ」「その国ってどこにあるの」「関係ないわ」危険物が入っていると決め付け、夫婦の鞄を河に捨ててしまうレイ。鞄には、かけがえないモノが入っていた。

この作品は、レイがボーダーを次々越えていく冒険物語だ。国境(ボーダー)を越える。一般人と犯罪者の間の垣根(ボーダー)を越える。人種間の垣根(ボーダー)を越える。確執のあった二人が、徐徐に互いを思いやる気持ちが芽生えてくる。誤解が理解に変わっていく時、絆が生まれる。レイが人種間のボーダーを越える発端となったのは、母性と人間愛だ。肌の色が違っても、母性は同じ、子供を愛する気持ちも。レイがそれに気付いた時、もう一つのボーダーを超える事が出来たのだろう。垣根は越えてみれば案外たいした事がない。

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emiueyama

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