マイケルムーア監督の新作を観てきた。
ムーア監督の作品はほとんど映画館で観てきたけれど、
今回、いちばん印象に残るのは、音楽だったと思う。
冒頭から最後まで、素晴らしい選曲だった。
今度の標的は「資本主義」。
アメリカの銃社会問題、ブッシュ政権への疑問、
そしてアメリカの医療保険制度を取り上げてきた監督だけど、
今回は、自由社会の象徴を標的に選んだ。
今に始まった事ではないが、この100年に一度の不況という状況の中、
「資本の横暴」が益々苛烈になっているのは、よく耳にする。
けれどそれは、銃や、不明な政治家や、未整備の医療制度への糾弾とは違う。
なにしろ、長いこと、資本主義は自由の象徴だと思われている制度なのだから。
そう思って観るからなのかもしれないが、、
この『キャピタリズム』での監督の弁証法は今までと微妙に違う気がした。
今までの作品にあった「論陣を張る」という感じではなく、
一つ一つの反証を挙げながら、「資本主義」という論に反駁している感じ。
そもそも「資本主義」とはなんだったっけ?(笑)
簡単に言うと、【100円】を持っているA氏が、それで【品物】を買う。
その【品物】にA氏が何がしかの加工をし【商品】にして、
それを市場(しじょう)に持って行って売却し【120円】を手にする。
この時、はじめに持っていた【100円】が【資本】と呼ばれて、
売却で得た差額の【20円】が【利潤】だ。
一方で、最初の「もとで」となる資本を持ってないB氏は、
自分の労働力を【商品】として売却する事ができる。
B氏は、労働力を売却して得た通貨で衣食住を整えて、
次の労働力の再生をして、また、売却する。
これが複雑に絡み合った社会制度が、資本主義ということだろう。
さて、いま起きている問題をとても単純に書いてみると、
A氏の存在が1%に過ぎない少数派であるひとと、
彼らが【利潤】を得る手順が恐ろしく複雑になっているという事。
また、
B氏の労働力が安く買い叩かれ、労働力の再生が困難になっている問題で、
これは「ワーキング・プア」などと呼ばれている問題になっている。
A氏の存在がたった1%であるという事を、ムーア監督は、
「ここにアメリカン・ドリームという罠が仕組まれている」と見做しているし、
複雑になった「利潤方程式」である「デリバティブ」を学ぼうとして挫折したりする。
特に印象的なエピソードは、資本を持っているA氏が、
自社の従業員B氏を対象にした生命保険に加入したいたという話だろう。
労働力の再生もままならないB氏が死亡して、A氏は多額の保険金を手に入れた。
しかしながら、その事実はB氏には伝えられず、一銭の慰労も無かったというのだ。
なぜ、このような事ができるのか、という事を、ムーア監督はつき詰めてゆく。
いつものような、特に『華氏911』に感じられたユーモアはあまりなく、
問題が身近で日常にあるだけに、じわじわと追い詰められる描き方だ。
映画のクライマックスは、なかなか衝撃的。
たぶん、アメリカ人なら知っている演説なのだろうけれど、
初めて観た私には、感涙ものの演説だった。
それは、在位の最後に収録されたF.ルーズベルト大統領の演説で、
『第2の権利章典』とよばれるものだそうだ。
その内容などは映画でご覧頂きたい。
試写会で、終映後に大きな拍手が起きたのにも、大いに納得の作品だ。