この物語には移民に関するいくつかのケースが描かれている。
その誰もがアメリカを目指しているけれど、本当に幸せになれた人はごくわずかだ。その幸せも華やかなものではなく、かすかな希望の光程度に描かれている。
ある程度の社会的成功をおさめ、アメリカ市民としてすべてが満ち足りているように見えるアラブ系の移民家族。しかし彼らが家族としてうまくいっているわけではない。アメリカ生まれのアメリカ育ちである末娘の自由奔放な生き方を受け入れられず、距離を置くほかの家族たち。市民権は得ても心の中までアメリカ人にはなりきれないのだ。一家族の中に越え難い民族の断絶が横たわっている。その隔絶が末娘を不幸な死へと追いやる。
またアメリカ市民権を得るべく地道に街のクリーニング屋を営む韓国人夫婦。その苦労をよそに怠惰な気持ちで日々を送る息子。市民権を得る重みを感じろという父の訴えも息子の心には響かない。そこには有色人種であるがゆえに差別的立場から脱することができないという諦めと卑下がある。
わずかな伝手を頼ってグリーンカードを得ようと奮闘するユダヤ系の青年。職能のない彼が永住権を得る可能性は限りなく低い。しかし可能性は零ではない。非力ながらできることは精いっぱいダメもとでもやってみる。そんな姿に幸運の女神が微笑みかけることも・・・その一方で正規の方法を諦めて不法に権利を得ようと真実をごまかし続ける女優志望の若い娘。二人の方法は対照的である。目的は同じ永住権だが、方法は逆。その方向性の違いが二人の心を隔て、一瞬交差したふたりの人生をやがて大きく別つことになる。
国がどれほど貧しければ危険をおかして異国のちへくるだろうか。正規に入国すらままならない民は、不法に入国して隠れながら重労働にたずさわる。故郷には残してきた家族の生活や命がかかっているのだ。貧しく罪なき彼らの罪は唯一不法入国。それゆえに家畜のように検査官に追い回されて捕えられる。弁解もままならず人権も認められずそのまま強制退去。残された子供はそのまま置き去りにされ顧みられることもない。なんという不条理なことだろう。
主人公の入国審査官はあまりの無情さに心を痛め残された幼子を異国の故郷に自ら送っていく。
9・11以降イスラムに対する偏見が強まり、学校の宿題に9・11の首謀者の立場の考察を発表しただけで国外退去に追い込まれるイスラムの女子高校生。これがあり得るのだったら、アメリカは自由の国ではなく正真正銘の統制国家になってしまう。
アメリカには何があるのか。みなアメリカを目指してきたけれど、本当に幸福になれた人はごくわずかに見える。アメリカの危うさを浮き彫りにした作品だが、日本にも同様な問題がもっと大きくなってくることはこのグローバリズムの波の中では必至であろう。明日の日本の抱える課題であることは確かだ。