2009-09-03

未知にして未踏の風景 このエントリーを含むはてなブックマーク 

子供の頃から集団で群れるのが嫌だった。というか心地よいコミューンがなかった。
小学五年の時に転校してきて場の雰囲気がわからなかった自分に周りの人達は優しかった。
でも野球を誘われたり一緒に遊んだりするよりは家にいたほうがよかった。
小学生六年の時に地元のフリーマーケットでクロムハーツの本を買って世界が変わった。外国人が売ってる偽のシルバーアクセサリーを二本で1500円で買ってそれを付けた自分は自分じゃない気がした。そのまま裏原宿に興味を持って中二の時にapeに行った。地下一階のあの場所を見つけられずに何時間もさ迷い、やっとのことで店に入った瞬間に目の前に拡がる世界観に圧倒された。
また、裏原宿通りを歩いている年上の人達のスタイルが自分の理想の姿だと思った。自分の欲しているコミューンはそこだと思った。
ネットで裏原宿の情報はくまなく探した、その結果、カルチャーの表面的な記号を塗り固めた虚構の概念にしか過ぎないことを知った。
高校時代はそれなりに友達がいたが求めていたコミューンがなかった。予備校に入りthink tankのtシャツを着ているやつと仲良くなり、カルチャーの視野が広がった。
大学に入れば求めているコミューンに巡り合えると思っていたが結局会えなかった。
その現状から必死に抜け出すために、いつでも深層に潜む住人と張り合えるように、映画、文学、芸術、音楽の趣向を深めアンダーグラウンドカルチャーサークルを作りイベントを開催してそれなりの結果も出したし、以前に比べれば似た帯域の友達も増えた。
しかし、結局中学から夢見ていたコミューンは見つからない、未知なるブラトーがどこにあるのかもわからない。
自分はこのまま、未知なき世界をさ迷うのだろうか。
何のために経済学部に入ったのだろう、今考えれば人文か芸術学部に入ればよかったと思っている。
もっと行動をすべきなのだろうか、博打を打ち続けなくてはいけないのだろうか。
予期された道を歩みたくなくて博打はそれなりに打ったがバックされたものがあまりにも少ない。
もう少しで内定がとれそうだがまったく興味のない仕事。だいたいやりたいことを仕事にする必要があるのだろうか。
自己と外部環境の差異にいつもいらつきを覚える、ぶつける場所がない怒りや虚しさをどこにぶつければいい?
俺はどこに行きたい?何をすべきなのだろうか?
千のプラトーはどこにもないのだろうか、あと三ヶ月で22になり、あと半年で大学を卒業する。
砂時計の残りの砂はあとわずか。

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にゃろめ

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にゃろめ

“おはよう、おやすみ”