2009-08-02

ヒトラー暗殺マジカッケェー・・のか? このエントリーを含むはてなブックマーク 

 ハ? ヒトラー暗殺計画ってあったの?
 そうみたいだ。このままじゃドイツヤバいことになる、ヒトラーがいる限りドイツに未来はない・・そう考えた軍人とか政治家グループがヒトラーを爆弾で吹き飛ばして殺そうとした(フゥー)。
 で、捕虜や奴隷どもが反乱起こした時の鎮圧作戦「ワルキューレ」っていうのをヒトラー殺したと同時に発動させてそのまま政権を奪取、連合国との和平交渉へ持っていこうとした(なぜなら、もうドイツの負けは決まったようなものだったので。だがヒトラーはドイツが滅びるまで徹底的に戦おうと考えていた)。
 ヒトラーを吹き飛ばす爆薬をテーブルの下にセットしたのはシュタウフェンベルクって人で、彼はアフリカで戦っているとき敵の爆撃を受けて負傷。左目が無くなり右手も手首の上から無くなり、左手も小指と薬指が無くなっていた(orz..)。
 そんな体で、彼は実行役を務めたのだった。ヒトラーを交えて作戦会議やるとき、いったんそこを抜け出して別室で指が三本しかない左手だけで爆薬の時限装置をセット。会議室へ戻り、爆薬入りのカバンをヒトラーの近くにこっそり置いてその場を去る、というもっとも重要な動きを。なおかつクーデター作戦でも中心メンバーを務めたのだった・・そんな五体不満足な体であるにも関わらず・・ヤッベー、シュタウフェンベルク兄貴、マジカッケェー・・

 ・・と、そういう感想を持つ人もいると思う。シュタウフェンベルク大佐について。トム・クルーズ主演で『ワルキューレ』という映画にもなって、春先に日本でも上映されていたことだし。
 私も映画でシュタウフェンベルク大佐のことを知って(劇場ではなく、ロンドンへ向かう機内で観た)、スゴいなーと思った。映画で描かれたことをそのまま史実とは受け取らないが(事実をもとにした映画というのはある意味危険だ。どこが事実をもとにしていて、どこが想像で作られたシーンか、どのシーンに当時とは違う脚色が入っているのかを考えないと、道を踏み誤る危険もないとはいえない。作り手に悪意があれば、実際とは違う事柄とか何らかのプロパガンダ、イメージ戦略を、観衆の心に植えつけることもできる。相手に気づかれないうちに)、大した人物がいたものだと感じた。シュタウフェンベルク、マジカッケェー・・チョォーリスペクト・・

 でも今は、それとは別の思いも抱いている。・・彼がケガをしたのはチュニジアでイギリス軍の空襲を受けたからだが、どうしてチュニジアに行く必要があったのだろうか? それは連合国との戦争で、そこが戦場になったからだ。・・チュニジア人からすれば、迷惑な話ではないだろうか? よそから来た連中が、自分たちの土地を戦場にして荒し回るなんて(チュニジアは1881年以来、フランスの植民地になっていた)。
 シュタウフェンベルクは、植民地というものをどう思っていたのだろうか? 彼の経歴を見るとポーランド侵攻もやっているし、チェコスロバキアの一地方をぶんどったドイツ軍師団にも加わっていた。結局は彼も帝国主義者、植民地オッケー主義者だったのだろうか? 

 ヒトラーを殺そうとしたという輝かしい実績を持っているシュタウフェンベルク。だが、チュニジアの人は彼をどう捉えているだろうか?
「べつに彼はわれわれの反植民地闘争を応援したわけではない」「チェコやポーランド侵攻に参加していたことから分かるように帝国主義者だから、踏まれてきた黒人やアフリカにとっては特に評価には値しない」・・そんな見方も、もしかしたらあるだろうか?
 それとも、「その当時の世界情勢や時代の価値観、彼が育ってきたドイツの雰囲気からすれば、帝国主義や植民地保持を当たり前だと思っていたとしても仕方ない。個人の感覚を縛る時代の制約というものがある。だが彼の持つ正義感、良心、聡明さはきっと、第二次大戦後のアフリカ独立の動きに理解を示したことだろう」とか思っているのだろうか?
 そのあたりが気になる。ポーランド人やチェコ人のシュタウフェンベルク観についても。

キーワード:

ヒトラー / 植民地 / 帝国主義 / ヒーロー


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菊田純一郎

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