ドキュメンタリーと言うのは、特に「人」を捉えようとしたらそれは中々難しいンじゃないかと思う。例えば先日公開された「マン・オン・ワイヤー」のように、フィリップ・プティという、人をトラブルに巻き込みながら自分だけヘーゼンとしている破天荒なキャラクターがいれば、ソレだけでぐいぐい引っ張ってゆけるのではないだろうか。
いや、元々人を捉えようとしているドキュメンタリは、多くの人が「観てみたい」と感じ、作り手に「撮ってみたい」と思わせる強烈なキャラクターが絶対必要なのだと思う。
さて、「イサム・カタヤマ=アルチザナル・ライフ」のカメラが捉える被写体は、革ジャンのサムライと呼ばれる、伝説のカリスマデザイナー、イサム・カタヤマ氏である。あるがしかし、僕はカタヤマさんのことを全く知らなかった(←今は知ったので過去形)。いや、実に革ジャンそのものを自分で購入したこともないので、(スタジャンならあるが)革ジャン界のカリスマデザイナーと言われても全然ピンと来ない。だから、ほとんスッピンの、前情報無しでこの作品を観ることができたのは、ぼくにとって幸いだった。
硬質な画面にカッコいいオッサン。そう、カタヤマさんは、デザイナーとかそう言う範疇を越えて、ただただカッコいいオッサンだった。純粋な子犬のような眼をして、ストレートに思っていることをカメラに向かって吐き出す。タバコをぷかぷか喫し、カタヤマさんとその廻りの人たちと話す。何かひとつに集中するのではなく、今現在を生きているデザイナー、イサム・カタヤマを素直にカメラが捉える。それだけなのにオモシロイのは、やはりカタヤマさんがカッコいいからなんだろう。
カッコいいというのは、ビジュアルではないよ。その言動であり、生き方であり、作りだすものであり、作りだしたものへの自信であり、親や先輩、仲間たちへのリスペクトであったり。それらがいちいちカッコいい。同世代としては悔しいけど(笑)。
もちろん、言っていることや行動がすべて正しいとは思わないし、カタヤマさんそりゃちょっと違うだろ、と思うところもあるけれど、例え自分と異なる考えをカメラの前で言っててもカッコいいのだ。芯がブレてないと言うか、レンズを通してでも感じるカタヤマさんのピュアな心構えと言うか。
だから、このドキュメンタリはとても面白かった。カタヤマさんは、どぎつい個性を持つ人ではないけれど、廻りの人を巻き込みながらハッピーな気分にさせてくれる。綱渡りのフィリップ・プティとは逆の意味で観るものをグイグイ引っ張ってゆけるキャラクターなのだろう。
そんなカタヤマさんを観せるために演出はほとんどいらないと言わんばかりの、主観をできるだけ押さえた冷めた画面が印象深い。
どんな場面であれ、オモシロイ人は面白いし、カッコいい人は、カッコいいんだなあと改めて思ったです。
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