160分の映画は、やはり、長い。
「省略できるエピソード」があるわけでも無いし、どの部分も「そうだったのか、知らなかった」という驚きや、丁寧な描写に満ちている。例えば、冒頭の唐突なバイオレンスも、静かに丁寧に描写されることで、その後に続く痛々しい場面を、納得というか、「さもありなん」と思わされる。
知らなかった歴史というのは、過去を扱う映画にはつきものだけれど、この映画に教えられた過去の出来事は、なかなか衝撃的だった。とりわけ強烈なのは、第2時世界大戦にも黒人兵がいた、という事。しかも、黒人ばかりを集めて、白人が指揮をする部隊があったのには驚いた。その意味がすっかり理解できるまで、この映画の中の戦闘シーンは、どこかベトナム戦争のような雰囲気があって、「ここはイタリアなんだ。1944年なんだ」と意識しなければならなかった。
1944年であることが意識できるようになった頃、それは「いかにもイタリアのパルチザン」という奴らの登場のお陰なのだけれど、今度は、ナチスが行ったイタリアでの虐殺という史実に驚かされる。
と、まあ、これだけのことを、知らない者に理解させるのだから、『奇跡』が起きなくたって、充分に内容の濃い映画になるし、短くは描けないだろう。
そして、『奇跡』まで描いてある。長い映画になるわけだ。
ところで、この長い映画、しかしながら、映像として観た場合、どことなく「オリジナリティー」欠けるように感じてしまった。もちろんスパイクリー監督の映画らしく、どの場面も「絵」になる。特にクライマックス、石の街での騒乱は、悲しみにと冷たさに溢れていて素晴らしい。けれど、例えば『プライベートライアン』のニュアンスがあったりして、いつも「どこかで観た気がする」というイメージがあった。
それと、監督ならではの「人種」に関するメッセージが空回りしていた気がする。「イタリアでは差別を感じない」というセリフ、そして「バッファロー・ソルジャー」をしっかりと描いたことで、この映画の中の「人種差別」は、図らずも映画の外に出てしまった気がした。