最後の『射撃場』の作品を見て
頭を撲られたように衝撃を受けてしまった。
プロパガンダと聞いて、煙たがる人も多いだろう。
だが、我々は知らなければならないのだと思った。
安直にマスコミと一緒になって国家批判をしている間に
知らず知らずのうちに何が起こっているのか、その実体や背景を!
現代社会では国家の手によるプロパガンダだけではなく、
民間企業や利権団体が代わりに私たちへ同手法を行使し、
私たちの生活の隅々にまでその手はいきわたっている
のである。
私たちはその社会を
驚くくらい無意識的に無批判に生きてしまってきたし、
だからこそ
私たちが相対する社会は、知らず知らずのうちに
国家に依存してきた結果、いろいろな社会問題が
巷には溢れかえり、国家はもう瀕死の状況にある。
にもかかわらず、そのダメになった国家の単なる批判を
マスメディアが行い、国民の国家への不信感を増幅させる
プロバガンダ手法を用いて、国家がさらなる大きな利権を獲得している
という事実に気づくことすらない。
『射撃場』を見て、ひとつひとつ浴びているプロパガンダを見抜き、
公共という似非スローガンを掲げながら、
利権をむさぼる国家や民間企業にNO!と言わねばならないのだと
つよく思った!わけである。
国家にすべて委ね続けてきたことの
代償から目を逸らすことなく、
私たちは自ら、無関心を装うのではなく、
社会的包摂の実現のために
動かねば!と。
幸福なことに、我々は新しいメディアを手にしつつある。
国家に代わり、社会的包摂を実現しうる、自主的な
新しいプロパガンダが、我々の公共性を築く大きな力を
持つことは間違いないだろう。
プロパガンダを
国家や大企業のみ持ち得る手法として献上するのではなく、
まさに我々市民が会得し、行使していかねばならないのだ。
力強すぎてめまいがした。
期待を裏切らない作品群であった。