もともとソビエト政権は映画に注目していたし、アニメも盛んだった。それは大衆への影響力として、もっとも協力で、りわかりやすいメディアだということを理解していからだと思う。ロシア革命直後はアニメというわかりやすいスタイルで啓蒙・教育をする必要があったろう。さらに革命政権はみずからの権力の正当性を示すこととそのために他者(資本家・アメリカ帝国主義)への批判が必要とされていた。これらは相互に独立した問題だが、お互いに補完しあう関係でもある(ソビエト内部で矛盾が解決されているかどうかは問われないのだが‥)。ところでこれらのアニメはプロパガンダなのだが、表現では過剰ともいえる多彩なものがある。
たとえば「射撃場」(1979年)という作品ではフリージャズの演奏にのせて、田名網敬一ふうのポップのイラストが縦横にうごきまわる。これはアメリカの失業者が実弾の的になるという非情な仕事なのだが、ジェーン・フォンタがでていた映画で「一人ぼっちの青春」を連想させた。これはアメリカの1930年代の大不況時に盛んに行われていたダンス・マラソン大会描いたもので、眠らずに踊りつづければ賞金がでるという過酷なものだが、失業者たちの眠らずに踊ろうとする執念がすさまじかった。
ソ連が崩壊してそれらのアニメがアメリカで見出されて再評価される。歴史の皮肉でもあるが、資本家的生産様式(資本主義)の社会では、すべてを商品として消費してしまう。そのようなスタイルもプロパガンダとして了解されてしまう。すべてを欲望し消費する様式もそうなのだろう。プロパガンダを消費するのではなく思考の契機としたい。