一見するとエイプリル(ヘレン・ハント)中心のラブコメだが、一筋縄ではいかない奥の深さを備えた作品である。
ごく平凡な人生を歩む人間にとって、10年前と今では自分の目の前にある“道”の数が違うだろう。たぶん、減っている。でも、10年前にあった無数の“道”は無限の可能性を示しはするけれど、どれも繋がっていないはずだ。
では、今は?
“道”の数はかなり減ったけれど、1本1本を確実に繋げようと必死になっている。
自分の子供を持ちたいエイプリル。
エイプリルのように“崖っぷち”に立った時、自分の存在意義を模索して、何かと繋がろうと必死になるのだろう。“崖”から落ちないように。
その姿は滑稽であり、痛くもあるけれど、綺麗事をを取っ払って動くエイプリルに私は輝かしさを感じた。
幼い頃にエイプリルを捨てたけれど、エイプリルと絆を持ちたい母バーニス。
「終わりが始まり」という母バーニスの台詞があったが、私はこの台詞の中に表向きはホラで固めた彼女の本当の気持ちを痛感した。
潔く描かれた2人の真反対さとエイプリルの最後の決断が1つの線で繋がった時、“いとしさ”の意味が心に染みてくる。
ここで、Production Noteにヘレン・ハントが書き記した一文を引用する。
「撮影中、ずっと私はみんなに“ストーリーで何が起きても私たちはコメディを撮っているのよ”と言い続けていたわ。」
“期限”は迫る一方なのに、問題も増えるばかり。あれもこれもは欲張れそうにもない。何かを取れば、何かを犠牲にしなくてはいけない。--それがエイプリルの今だ。
でも、全てを抱き込んだ上で「コメディ」と言い切る強さが、観る者に勇気を与える最大の要因であり、この作品の魅力だと思う。
たくさん間違えてもいい。
どれだけ後悔してもいい。
思い通りに行かなかったらあがいてもいい。
そこに自分の意思があるのなら。
何でも選ぶことの出来る時代だからこそ、この作品を観て欲しいと思う。