2009-02-03

「映画は映画だ」の「虚」と「実」 このエントリーを含むはてなブックマーク 

俳優になりたかったヤクザとヤクザのような俳優・・・
といってもこの映画は決してヤクザ映画ではない。

閉塞感の中で、誰もが思うのではないだろうか。
自分が選択しなかったもうひとつの人生ってどんな人生だったのだろう。
今の自分と違う生き方って・・・。
ヤクザと俳優。
一般の生活者からすればどちらも遠い世界に生きるふたり。
違う人生を生きることは果たしてできるのか。
それぞれの人生を交錯させたふたりは
今まで気づくことのなかったどんな感情に逢ったのだろう。

ヤクザのガンペ
命を賭けた真剣勝負をせざるを得ない極限の日々。
孤独、眠れない、笑えない、疲弊のみの毎日。
スター俳優のスタ
俳優としてスクリーンの中で他人の人生を生きながらも
自分の人生は空虚。
自分自身の意志で生きているという現実感を得られずに、苛立つ日々。

そんなふたりが出会い、映画という虚構の世界で「真剣勝負」に挑む。
現実と映画の世界を行き来しながら、
最初反発していたふたりは、互いの中に自分と似た部分を見つけ出す。
それはまるで表裏一体のように息づいて、
合わせ鏡のように映し出される世界が
現実なのか、映画なのか、見ている者もわからなくなる。
そして、何を渇望しているのかもわからないまま、
満たされないふたりの日々は瀬戸際まで追い詰められてゆく。

眼光鋭く対峙する主役のふたりと、
ボン監督役のコ・チャンソクの愛嬌のある演技との
コントラストが絶妙でヘビーなシーンが続く中で笑いを誘う。
ガンペとスタに関わるふたりの女性、ガンペの子分たち、
それぞれの個性が物語を彩ることでガンペとスタがより際立ち、
物語は飽きることなくテンポ良く進む。

そして、この映画の最大の見せ場と思われる壮絶な干潟のシーンの迫力は、
チャン・フン監督のこの作品への強い思い入れが感じられる。
最初、繋がってはいなかった干潟の奥に見える橋はひとつに繋がり、
ガンペとスタの区別はつかなくなり、物語は急速に結末を迎える・・・
かと思わせるが、最後の最後までふたりの「真剣勝負」は続いていた。
ふたりは結局、何が変わったのか。何が変わらなかったのか。
何を変えて、何を変えなかったのだろう。

虚勢を張りながらも常に脆さの見え隠れする
スタを演じたカン・ジファンの演技は繊細で切なさが募った。
一気に疾走したかのような物語の勢いは、
見終わった後に深く静かな感動となって心に残る。
とりわけ圧倒的な存在感で終始スクリーンを席捲した
ソ・ジソブの演技は圧巻で、特にラストの鬼気迫る表情は深く胸を打ち、
新たな「映画俳優」の誕生に大きな期待が広がった。

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Reki

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