2008-11-27

新<不>自由主義時代に生きるーー貧困と君が代日の丸強制ーー このエントリーを含むはてなブックマーク 

 東京はこのところ天気が変わり易く、月火と雨でした。今日はいいお天気でしたが、明日また雨のよう。

 相変わらずやや呑み過ぎではあるものの、自宅に籠ってパソコンに向かい書き物をしています。週末からは「ディープ〔徹底的に問い返す〕・エコロジー」という言葉の創始者だと見做されている、ノルウェーの哲学者アルネ・ネスの「自己(self)」概念を検証するために、彼の論文集“The Ecology of Wisdom”の中の、特に仏教をテーマにした幾つかの論文を読んでいます。

 それ以外では、24日(月)と今日=26日(水)各々、久しぶりに政治・社会系の集会に参加してきました。

 24日(月・祝)は、「ロスジェネ世代からの〝反貧困〟のプロジェクト」というシンポジウムへ高田馬場の伊藤塾へ。

 主催者と知り合いで、一応「受付の手伝い」をということで、開始一時間前に行ったのですが、実際には年輩の女性グループが受付等全部やってくれたので、やることがなく、また正直気持ちが上述の自分の研究に向いていたので、開始前もシンポの間もネスの本を読みながら聞いていました。

 と言う訳でやや片手間にですが、話を聞いていて考えていたのは、最近移動時間等に邦訳を読んでいる、ドイツのフェミニスト マリア・ミースの言う、無償の家事労働と低賃金の非正規雇用という「主婦化」(原語未確認。翻訳がまずい可能性あり)が、構造「壊悪」の中で日本でも男女世代問わずに大規模に推し進められているということでした。

 http://sites.google.com/site/civilesocietyforum/

 25日(火)は夕方から雨が降って来たこともあり、結局夜十時過ぎにちょっとした買い出しに出た以外はずっと籠ってネスを読んでいました。

 で、26日(水)の夜はなかのゼロ小ホールで、「映画『あきらめない』と講演の夕べ」へ。

 この手の上映会・集会の常として、観衆は年輩の方が主体でしたが、二十代とおぼしき男女もチラホラいました。

 『あきらめない』(08年、ビデオプレス)は、06年の『君が代不起立』の続編で、全国に先駆けて公教育の新自由主義的「壊悪」を推し進めている東京都の公立学校で、様々な圧力・嫌がらせ・処分を受けながらも、卒業式での君が代斉唱に際して不起立を続けている、根津公子さんと河原井純子さんを追ったドキュメンタリー。

 前作同様、根津さんや河原井さんに対する、都教育委員会や校長・副校長等の、「非人間的な」対応に背筋の凍る思いがしました。彼女等/彼等一人一人は、石原都知事のような「モンスター」と違って、恐らくは個人としては善良な人間なのでしょう。しかしそれがどうして、自己保身のために判断を停止し良心の声に耳を塞いで、全体主義的強制の道具になってしまったのでしょうか…。

 この国の凄まじい現状を改めて知り、非常に暗い気持ちになりました。

 ただ個人的に残念だったのは、前作と違って、戦争体験を引き合いに出す年輩層に取材のアクセントが置かれすぎているような気がした点でした。生徒達や二十〜三十代の若年層に焦点を当てた方が、今後の展望も開けるような気がします。

 ちなみに「あきらめない」というのは河原井さんの言葉のよう。「あきらめたら、全て終りだ」と。日々の生活の中でもこの言葉を心に刻んで、勇気をもって生きていかなければと思います。

 http://vpress.la.coocan.jp/

 上映後は一橋大の渡辺治さん(ハーヴェイ『新自由主義』の翻訳者でもある)による講演。九十年代からの新自由主義構造「壊悪」全体の中で、東京都の君が代日の丸強制を頂点とする教育「壊悪」を位置づけてくれました。言葉遣いに不用意な点がやや眼についたものの、話の内容は非常にクリア。予算配分と世論の支持を切り札にして推し進められる学校選択制等、「壊悪」全体を批判しない限り、日の丸君が代強制を止めることは出来ないことを認識させられました。

 ちなみに、大阪では公立学校の非常勤教職員の首切りが始められようとしているよう。YouTubeの方だけでも是非。

 http://jp.youtube.com/watch?v=OG8XhzpfG5w

 http://yatoidome.blog44.fc2.com/

 新「不」自由主義時代に「あきらめない」で生きるために、構造「壊悪」の中で「勝ち組」になるべく奮闘する以外の道とは…。

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知世(Chise)

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知世(Chise)

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