西ヨーロッパと南北アメリカ大陸にまたがる広大な領土の支配に翳りが見えてきた17世紀のスペイン。女好きで無能な国王と、権力争いと保身に走る寵臣たち、狂信的な異端審問所の神父、といった歴史好きにはたまらない時代背景のもと、剣の腕だけを頼りに生きる一人の男の生涯が描かれた、いわばスペイン版大河ドラマである。
実際にはその地位についたことはないのに「カピタン(隊長)」というあだ名で呼ばれるこの男−ディエゴ・アラトリステ−が実に魅力的である。友人たちの信頼は厚く、その誇り高さには大貴族ですら一目置かざるを得ない。寡黙で、勇猛で、義理堅いが、金のためには人殺しも引き受けるし、妙に頑固なところもあり、女には「古くさい男!」などと言われてしまう。酷薄な瞳で見据えたかと思うと、深い慈愛に満ちたまなざしを覗かせる。人生を捧げるに値しない国家や国王や教会に、そうとわかっていても仕えることを選び、不遇な境遇をも己の運命として受け入れていく男・・・単純明快なハリウッド的ヒーロー像を物足りなく感じる方にぜひ観てもらいたい。戦場で敵に撃たれ、あるいは自らが手を下すことになった戦友たちを看取るときのしぐさが、彼の繊細で複雑な内面をよく表している。
薄汚れ、疲れ切り、しかし生きることを決してあきらめない気骨ある剣士が誰よりもよく似合うヴィゴ・モーテンセン。役に関して綿密な事前調査を行うことで知られている彼は、この作品の主人公を演じるに当たり、実際にスペイン各地を歩き回った結果、原作には設定されていないアラトリステの出身地をスペイン北部のレオン地方に違いない、と考え、地元の人々と交流する中で役を作り込んだという。国民的ベストセラーである「アラトリステ」の故郷とされたレオンの人々はそのことに感激し、スペインでの本作公開後の2006年10月にはモーテンセンを名誉市民として表彰している。アメリカ人でありながら、スペイン人の心に深く入り込んでアラトリステの人物像を作り上げたモーテンセンの演技は、原作者のレベルテをも驚嘆させ、「これからは『モーテンセン演じるアラトリステ』のイメージで書く」と言わしめたくらいである。
スペイン映画界が総力を挙げて取り組んだ、というだけあって、脇を固める俳優たちも、みなそれぞれいい味を出している。オリバーレス伯公爵やグアダルメディーナ伯爵、高名な詩人のケベード、人気女優のマリアら実在の人物はいかにもそれらしい存在感を見せているし、肖像画から抜け出したような国王フェリペ4世の見るからにダメ君主、という風貌は特筆すべきである。また、屈強で卑怯でなおかつ律儀でもあるアラトリステの古参兵仲間や宿敵マラテスタらも、歴史の裏側にしっかりと根を下ろし、しぶとく生き延びていた「名もなき」実在の人物のようである。
ベラスケスの絵画をイメージしたという映像はとても美しく、暗めの室内での光と影の使い方が素晴らしい。宮廷や貴族の館も、そこに出入りする人々の衣装も、細部までこだわって製作されており、豪華で見応えがあるのはもちろん、アラトリステやマラテスタの貧しい部屋のテーブルの上のちょっとした手桶や水差しの置き方ですら、中世絵画を思わせる構図で、この時代の芸術作品に興味がある人は必見である。ベラスケス自身の作品も小道具としていくつか登場しており、中盤の大きな画面転換に使われている傑作「ブレダの開城」は原作の重要なモチーフでもある。
音楽も勇壮で華々しいというより、切なく情感に訴えるものが多い。特に最後のロクロワの戦場で流れる曲は、黄金期を過ぎた帝国の悲哀を滲ませ、心に残る。この戦闘シーンは、CGを駆使した数千人規模の戦闘を見慣れた目には実に小規模で、驚いてしまうくらいなのだが、その兵士の少なさがかえって負け戦の虚しさ、哀しさを際だたせていて、片端から倒れていく歩兵たちは没落していくスペインの象徴のようであった。
スペイン人がスペインの歴史をスペイン人に教えたいがために書かれた小説を、スペイン人が映画化した作品である。時代背景など、少々わかりにくく感じる部分もあるかもしれない。しかし、剣を手に、敵うはずのない相手に立ち向かう男たちの姿は、決して馴染みのないものではないし、感情を抑えて義に生きるアラトリステの人物像は、日本人にはむしろ理解しやすいのではないだろうか。西洋史好きだけではなく、武士道や時代劇が好きだという方にも自信を持ってお薦めできる歴史大作である。